それは、私がこのW社の入社試験のために来社した時のことでした。
私がもし受かったらこんな大きな会社で働くことになるんだなぁと
ぼんやり呆けている間に受付で聞いていた試験会場の場所をうっかり聞き流し、
更に他の入社試験を受けに来た人たちも見失ってしまった。
そして更に悪いことは重なるもので社内で迷子になってしまったのだ。
会社のエントランスに戻ってもう一度会場の場所を確認しようにも
ここがどこであるのかすら分からなくて、途方に暮れてしまったその時。
『どうしたの?』
優しそうな男性の声に振り返るとその人はうっかり見惚れてしまいそうなくらい
綺麗な微笑を浮かべて困っていた私に手を差し伸べてくれた。
まるで天使…いいえ、私にとってはその時は救いの神様のような人でした。
事情を話すと『この会社無駄に大きくて入り組んでるから迷っても仕方ないよ』
『会場は確か6階の研修室だったかな。案内するよ』
そう言って、試験前から落ち込みそうな私を励ましてスマートにエスコートをするように
(あぁっまるでどこかのお嬢様やお姫様気分でした!)研修室までしっかり案内してくださいました。
最後に『試験頑張って』『またここで会えるの楽しみにしているよ』
…なんて甘い笑顔で言われたら、うっかり恋に落ちてしまったってしょうがないと思うの。
乙女心をがっちり鷲掴みするような台詞を見目麗しい殿方に言われたら…ねぇ。
私は彼にもう一度会いたい。
入社出来たのは貴方のおかげだとお礼が言いたい。
あわよくばお近づきになりたい。
そんな執念だけで試験をクリアしてこの4月、晴れてこの会社に新入社員となった。
不順な動機であはあったが、兼ねてからここで働きたいと思っていたから
1ヶ月の研修を終え、本社で配属された部署で先輩の後をついて仕事をすることになった。
漸く本社であの人を探せると暇さえあれば他所の部署もチェックしているのに、
全くそれらしき人がいなくて肩透かしだ。
名前さえ聞くのを忘れていた自分のうっかり加減にうんざりした。
ああ、私ってば入社さえ出来れば会えると思っていたのね。
こんな大きな会社だもの。
社員の数だってそれ相応の数になるのに、その中から名前も知らないあの人の
外見だけで見つけようだなんて、無謀にも程があったわ…。
でも、あんな格好いい人だもの。
きっと人気者に違いないからそのうち噂話とか耳に入ってくるかもしれないじゃない。
「どないしたん?なんか悩み事?」
うんうんと社員食堂でお昼ご飯を食べながら一人百面相をしていた私に
ベル先輩が声をかけてくれた。
今私が仕事を教わっている人でとても優しくて気さくな先輩なので、
思い切って話をしてみることにした。
もしかしたらその人のことを知っているかもしれないし。
「へー、そんな漫画やドラマみたいな話、あるんやねぇ…えぇなぁ」
「それで、先輩…心当たりありませんか?」
「うーん…言うても茶髪で緑目で男前とかそんな抽象的な特徴やったら
この会社数え切れんくらいおると思うで」
「違います!チョコレート色のさらさらした髪で、
うっかり見惚れそうな美しい碧眼に、まるで王子様のような素敵な人です!」
「うん、せやから茶髪で緑の目で男前なんやろ?そんなん居りすぎて分からんわ。
…なんかもっと…これ!っていう特徴があったらウチも何人かに絞れると思うんやけどなぁ…」
ちょっと困ったふうに笑う先輩に、そうだよねぇと思ってあの人の記憶を手繰り寄せ、
他の特徴…と頭に浮かべたその人を舐めるようにじっくりと見つめていて、
はっと気がついた。
「くるん!」
「え?」
「こんなふうに一本くるんとした髪がありました!」
自分の髪を取ってその人のとてもユニークな特徴を嬉々として力説すると、
先輩は机に伏してしまった。
え?何?どうして????
一方のベルは薄々感じていた嫌な予感が大当たりして深く溜息をついた。
(どおりでどっか聞き覚えのあるセリフや思った!)
本当にあの子の女好きは今に始まったことではないが、困ったものである。
無駄に男前でフェミニストなんがあかんと思うわ。
この子も毒牙にかかっていたなんて…全く油断も隙もない!
ちゃんと捕まえておかんかい、親分の阿呆!
この子まで会社を辞める言うたらどうすんの、も〜〜〜〜〜〜っ!
折角将来有望そうやのに…。
悪気はない思うけど、純粋なこの子が可哀想やわ…。
それは、絶対叶わない恋だから。
「あんなぁ、それってもしかして――――――あれちゃう?」
むくりと起き上がった先輩は顔に手を当てながらもう片方の手でそっと指を指した。
その方向に顔を向けると、その人は、いた。
さらりとしたチョコレート色の髪に、綺麗な緑の目。そして特徴的なくるん。
今日も素敵なスーツを着こなし、綺麗なフォーク使いでパスタを食べていた。
「あっ!そうですそうですっあの人です〜〜〜〜っ!」
「…やっぱりロヴィーノなんや…」
「ロヴィーノ?ロヴィーノっていう名前なんですね!素敵な名前!」
キャッキャッと小声で興奮気味に話す私とは裏腹に、先輩は浮かない顔をしていた。
が、それに気付くはずもなく私は先輩にもっとその人のことを聞こうとした。
「ロヴィーノさんは年はおいくつなんですか?部署は?
先輩、ロヴィーノさんと仲良いんですか?
あっ彼女とか、います!?」
「か、かのじょ……は居てないと思う、けど…」
「いないんですか!?じゃあ、」
「――――――でも、恋人は居てるで」
彼女はいない。
でも、恋人はいる。
その言葉に首を傾げた。
「あの…先輩、それ…意味がよくわからないです」
「うん、でも居るから。せやからロヴィーノはやめとき」
先輩の真剣な声と表情。
何だか必死なその様子に、もしかして先輩があの人の…――――――?
そう思い、口を噤んだ私の頭を先輩はポンポンと撫でた。
「あの、先輩…――――――」
「ソレはないから安心して。理由は直ぐ分かるわ。…この会社に居てたら嫌でも…な?」
(…あの二人は見とるほうがずっとおもろいと思うし)
先輩の悟った目に首を傾げながら、はいと頷いた。
何か深い意味を含んだ先輩の言葉に、“何か”を感じフィルターを取っ払って
暫くロヴィーノさんを観察することにした。
数日後、私は彼女が今だ憧れと恋の境にあったそれを引き止めてくれたことを心から感謝した。
そう、彼女の言葉通り。
ロヴィーノさんには彼女じゃないけど、恋人がいた。
――――――上司で、しかも男の。
社内でも有名なほどのバカップルだと言うことも嫌でも耳にした。
「今日も同伴出勤してきたね、あの二人…v」
「同棲してるって噂ほんとかなぁ」
「えー私はもう結婚してんのかと思ってた!」
そんな二人の噂話を耳にしながら、私は口元に笑みを浮かべた。
「さぁっ、今日も頑張って仕事しよ!」
気合を入れて私は今日も仕事に精を出すのだった。
|