季節は巡り、あれから十年。
あの日のような春の陽気の中、ちび分は進級し今年は受験生。
進路を決め、それに向かって自分の進学先を決めなければならない。
しかし、ちび分には迷いはなかった。
中三になってすぐに書かされた進路希望調査はその場でさっさと書いて渡してしまうほどに。
トマトのような赤い夕陽を背に軽く鼻歌を歌いながら自転車を漕いで
住宅街を抜け、畑を通り過ぎると赤い屋根に白壁の家が見えてきた。
車庫の端に自転車を止め、玄関を開けた。
「ただいまー!」
鞄を肩にかけたままひょこりと夕食の匂いのするキッチンを覗く。
いつもの黒いエプロン姿で振り返った人物は自分を見て少しだけ口元を綻ばせた。
「おかえり。メシはまだだぞこのやろー」
出会った頃と変わらないすらりとした体躯に整った容姿の
自分の父親の嫁であり、初恋の人…ロヴィーノは現在五年程前に立ち上がった
『ベラドンナ』のメンズブランド『Fratello』の専属モデルだ。
元々話自体はベラドンナ立ち上げ段階でもあったのだが、
社長兼デザイナーのフェリシアーノが女の子が可愛くなる
お手伝いをしたいからこの仕事を始めたのであって、
男物はオーダー品と身内のもの以外は作りたくない。
断固拒否されていたのだが、ロヴィーノが正式に『ベラドンナ』の
正社員になったことで再び話が持ち上がった。
もちろん、その話を押しているのは本田が中心である。
贔屓にしてもらっている上客たちからも従業員の制服が格好いいと評判で、
メンズブランドがあったら彼氏や旦那とブランド揃えるのもいいかしれない。
なんて話で盛り上がったこともあり、
アルバイトの大学生たちも普段着とか欲しいなという声もあって
本田が押すが、やはりフェリシアーノの答えは変わらなかった。
なので本田は最終手段に出た。
「では、ロヴィーノ君が専属モデルをするというのならどうですか?」
「えっ兄ちゃんが!?…う、うーん…」
「ちょっ待て本田!なんで俺!?やんねーぞ!?」
本田はにこりと笑顔でロヴィーノを軽くスルーして捲くし立てる。
「ロヴィーノ君のためにデザインするのならどうですか?
ロヴィーノ君に着せたい服を好きなだけ作れるんですよ?
格好いいロヴィーノ君や可愛いロヴィーノ君…たくさん見れますよ。
合法的に『俺の兄ちゃん格好いい』アピールできます。
もちろんロヴィーノ君も協力してくれますよ。ねぇ、ロヴィーノ君?
協力…し ま す よ ね ? し て だ さ い ま す よ ね?」
とロヴィーノを追い詰めていく本田には鬼気迫るものがあり、
押しに弱いロヴィーノは断れなくて半ば強引に頷かされた。
「分かった!いいよ!俺やるよー!」
「ではそのように進めていきましょうか、ロヴィーノ君頑張ってくださいね」
「……は、はぁ…なんでこんなことに…」
しかしその話にフェリシアーノは条件をつけた。
メンズブランドのモデルはロヴィーノのみ。
リーフレットやポスター、オンラインHPで使う場合も
ロヴィーノ以外は起用しない。
雑誌で使う場合も余程でなければロヴィーノ以外のモデルには着せない、と。
男物は作らないというこだわりを曲げるのだがら、
これくらいは了承してくれるよね?とフェリシアーノは笑顔で言った。
本田はそうくることを想定していたのでもちろん、と頷いてみせた。
――――――こうしてメンズブランド『俺の兄ちゃん格好いいでしょ』自慢…
もとい、『Fratello』が誕生した。
誕生以来順調に売り上げを伸ばしている。
ベラドンナと共に支店も増え、ますます会社としても発展している。
身内にお洒落に敏感な人がいるせいか、ちび分も私服がダサいと
言われることもなく、むしろセンスがいいと女の子にモテるので
服で困ったことは一度もない。
男にしては細い腰に抱きつくと頭の上に拳が落ちてきた。
「いたーい!酷いわ〜」
「風呂入ってきやがれこのやろー。ついでに掃除な」
「…はーい」
ロヴィーノは料理は手際がいいのに、掃除が全く出来ない。
一緒に暮らし始めて分かったことだ。
…尤も父親であるアントーニョは変わってないと笑っていたが。
(昔は嫌がらんかったのになぁ)
今では目線もさほど変わらなくなってしまったせいか、
あまり男が好きではないロヴィーノは容赦がない。
(男嫌いなくせになんでとーちゃん…矛盾しとるで)
思っても口には決してしない。
そんなのはきっとロヴィーノ自身もなんでと言いたいだろう。
自分はますます父親に容姿が似てきているせいか、
時折ロヴィーノが複雑な顔をすることを知っている。
小耳に挟んだ話では、ロヴィーノがアントーニョに対する恋心を自覚し、
持て余していて苦しんだ苦い記憶の中のアントーニョと重なるらしい。
しかし、自分はアントーニョではない。
それもロヴィーノは分かっているだろう。
父親のことは嫌いではないが、ますますアントーニョに似てきた、
なんて二人の知り合いなどに言われると複雑だ。
俺は俺で他の誰でもないんだけどな。
――――――なんて。
お年頃なちび分の心情は誰も知らない。
掃除をして風呂に入って出てくると、玄関から大きな声が聞こえてきた。
「ロヴィーノ!ただいまー」
「ちょっ抱きつくな!こら!どこ触ってやが…――――――っ」
(…あー、これ暫く出て行かん方がいい感じやな…)
脱衣所でやれやれと肩を竦める。
玄関ではきっと新婚さながらの熱烈なキスシーンが展開されているだろうことが
想像できてしまうので、ちび分は仕方なくあまり汚れてもいない洗面所の掃除を
始めることにした。
何年経っても未だに新婚のような熱い二人に半ば呆れてしまう。
いやいや、二人の仲がいいのは良いことだ。
しかし、だ。度が過ぎるのだあの二人は。
十年も経てば落ち着いてもいい頃だと思う。
思春期の息子の身にもなってくれ。
――――――なんて言ったところで自重しないだろう、特に父親の方は。
粗方片付いたところで脱衣所を出ると、メシにするぞと声が聞こえてきた。
「はーい。あ、とーちゃんおかえりぃ」
「おん、ただいまー」
仕事帰りで疲れているとはとても思えない爽やかな笑顔に、
ちらりとロヴィーノを盗み見ると濡れて光る唇に、首筋には
先程まではなかった赤い鬱血の痕があり、兄ちゃんもタイヘンやなぁとぼんやりと思った。
でも父親が夢中になるのも分かる。
こんなに美人で可愛い嫁がいたら自分だって四六時中でも可愛がりたいものだ。
「ちび、そういえば高校どうするんだ?」
「ん?うん、とりあえず近くの高校行こかなと思っとるよ。
アルフレッドさんに聞いたらやっぱ護身術くらいは出来たほうがえぇかもって
いうからそしたらそれ聞いた菊さんが空手とか、柔道とかどうやろって」
合気道なんかもいいですね、と本田が言ったので
そう言った部活のある高校がいいかなと思っている。
「本気で警察官目指すつもりなんか?」
「うん」
「…危なくねーか…?」
「大丈夫、俺運はいいほうやから」
へらりと笑うと隣に座っていたアントーニョがちび分の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「ま、お前が決めたんやったら頑張れ」
「危ないことには首突っ込むなよ?」
力強いアントーニョの笑みと心配顔のロヴィーノを見て
ちび分はくすりと小さく笑った。
中学三年のちび分は少し複雑な感情を抱きながら、
それでも愛されていると実感して微笑んだ。
「ずっとなかよし」
兄ちゃんを守りたいからという理由だった夢だが、
いろんな人に支えられているその恩返しをしたい。
自分はいろんな人に想われていることを知っている。
それはなんて幸せなことだろうとちび分は小さな決意を胸に思うのだった。
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