運よく角部屋、しかも南向きで日当たり良好。
バイト先は徒歩で15分という、かなりいい条件のこのアパートメント『TOMATO』に引越しして、
心機一転…と思ったのに、どうやら俺はとことんついてないらしい。
「…え、ロヴィーノ?」
「あ、アント−、ニョ?」
弟が「最低限、お隣さんと管理人さんには挨拶しなきゃだめだよ!」と
何度も口五月蝿く言うから、仕方なく菓子折り片手に隣の部屋のドアを叩いたら、
出てきたのは幼馴染で、高校時代に告って振られた男だった…――――――。
お互い暫し呆然と立ち竦んでいると、アントーニョの部屋の奥から小さな子供が顔を出した。
「とーちゃん、だれー?あ、おかし!おかしのにおいする!」
「あ、こらちび…っ!」
子供は俺の手に持ったいるお菓子に興味津々なようで、
ぴょこぴょこと飛び跳ねて覗き込んでくる。
癖のある髪に、緑の大きな瞳は、小さな頃のアントーニョにそっくりで、
あぁ…そういえば誰かが言ってたな、と思い出す。
アントーニョは、結婚したんだって。
(そうか、そうだった。じゃあこの子は…アントーニョの息子…ってことか)
結婚したんだから、子供の一人や二人いたって不思議じゃないよな。
妙に納得して、菓子を子供に渡してやる。
「引越ししてきたから、挨拶…って思ったけど、…悪いな、邪魔して」
「え、いや…別に…」
視線を泳がせ、明らかに困惑しているアントーニョに、
無理もないか、と瞳を伏せ、挨拶もそこそこに早々にその場を後にした。
自分の部屋に戻ってドアを閉めてから、深い溜息をついた。
俺が高1でアントーニョが高3の卒業式の日、俺は思い切ってずっと片思いをしていた
アントーニョに「好きだ」と告げた。
アントーニョの行く大学は遠く、実家を離れることを知って、
そうするともう会えるのなんて、いつになるのか分からなくなって
そのまま離れ離れになるのなんて明白だったから、
ない勇気を振り絞って、伝えたのだ。
――――――まぁ、玉砕だったけどな。
その後結局会うこともなかったから、彼が今どうしているのか、
などという情報は殆ど入ってこないまま、今に至るので
彼がこの街に戻ってきていることなんて、当然知る由もなくて、
だから別に他意はないのだ。
…このアパートの名前が『TOMATO』なんて名前だから選んだだけ。
あとバイト先にも近くて、…だから。
別にお前のこと追いかけてきたわけでもなくて……。
なんて、言い訳するのも変だし、余計に怪しまれる気がする。
それに、もう別に昔の話だろ?あのことはお互い水に流そう。
などと今更言うのもなんか変だろ。
………。
まぁ別に隣だからって気にする必要もないだろう。
毎日顔を合わせるわけでもないんだし。
とポジティブにいこうとするが、先程のアントーニョの表情を思い出して再び沈み込んだ。
…アイツあからさまに嫌そうな顔してたな…。
(俺の顔なんざ、もう見たくねーってか)
だよな。男に告られて、さぞ気持ち悪い思いをしただろうし。
やっぱ、近いうちに別のところ探しておくか…。
いや、でもそうすると馬鹿弟のことだ。
『じゃあもう家に帰ってきなよ!』とかいいそうだ。
家にって、芋野郎も一緒だろうが。冗談じゃねー。
新婚だかなんだか知らねーが、俺は認めねーぞ。
再び重く溜息を吐くと、その場にしゃがみ込んだ。
合わない視線、
余所余所しい空気、
…じわりと涙が浮かんだ。
(こんなふうに嫌われるくらいなら、あの時言わなければよかった)
何度後悔したことかしれない。
せめて、
これ以上、彼の視界に入らないように
これ以上、嫌われないように
どうか、もうこれ以上顔を合わせることがないように、と必死で祈った。
*
結局あの後泣きながら眠ったので、目が腫れていた。
出勤したらあの心配性な弟は何があったのか、とか聞いてきそうだ。
憂鬱な気持ちで身支度をして朝食を食べてから部屋を出ると、
スーツ姿のアントーニョと出くわした。
「「あ…」」
(うわ、タイミング計り損ねた…!)
「あ、となりのにいちゃん!おはようさーん!」
ぴょこんと顔を出した小さな子供はにこにこと挨拶をしてきた。
笑った顔もやっぱりアントーニョに似ている。
「…はよ」
小さく挨拶をしてその横をすり抜ける。
朝っぱらから会ってしまうとは、ついてねえ。
出来るだけ距離を置こうと足を速める。
本当は走って逃げたいくらいなのだが、やめておいた。
出来るだけ、平常心で…――――――。
「にいちゃん、足はやいわぁ」
「うわっな、なんだこのやろー!?」
歩く俺のスピードに合わせて小走りについてくる小さな子供は、
にこにこと無邪気な笑顔で話しかけてくる。
「なぁなぁ、にいちゃんなまえなんていうんー?おれはなーちび分やでぇ」
「ついてくんなよ!親はどーした!?」
「ん?よーちえんこっちやもん」
そういえば、確かに通り道にあったな、幼稚園。って、そうじゃねぇ!
「にいちゃん、なまえおしえてー」
「んなもん聞いてどーすんだよ。つーか、うぜぇ」
「あんなぁ、ひげのおっちゃんが『かわいい子にはとりあえず名前聞いて口説け』いうてたから!」
それはナンパの仕方だ。
髭のおっちゃんって、もしかしてフランシスのことか?
あの髭、ほんとろくでもねーことしか教えねーな…。
などと思っていると、後から追いかけてきたアントーニョがちび分の首根っこを捕まえた。
「こら、ちび!勝手に先さき行かんの!!……あー、えと…ロヴィーノ、ごめんなぁ」
「…いや、」
「ロヴィーノ?にいちゃん、ロヴィーノっていうん?」
「あぁ、せやで。分かったら大人しく…」
「ロヴィーノにいちゃんは今からどこ行くん?遊びに行くんやったらおれもつれてってー」
アントーニョの手からいつの間にか逃れたちび分は、
俺のズボンを小さな手できゅっと掴んだ。
慌ててアントーニョが再びちび分を抱き上げた。
「こらお前!言うた傍から何してんねん、もう!」
「せやかて、こんなべっぴんさんはくどかなそんやとおもうねん!」
「おーまーえーはー!……はぁ、おとうちゃんは、お前の将来が心配やで…」
親子二人のやり取りに思わず口元が綻ぶ。
抱き上げられた子供の額をツンと突いた。
「ばーか。仕事だよ、仕事!」
仕事っていうか、バイトだけどな。
アントーニョのようにスーツを着ていないから
遊びに行くとでも思ったのだろうが、生憎今日は休みではない。
幾分か表情の和らいだロヴィーノを見て、ちび分は瞳をキラキラと輝かせた。
「わ……わろた!にいちゃんがわろた!かわえぇ!」
「っあ、こら、暴れんの!」
しきりに『可愛い』を連呼するのは、アントーニョに似てしまったせいなのか。
仮にも一応成人した男に、しかも幼児にそんなふうに言われるのは心外である。
『格好いいと言え、格好いいと』と返して、ふと気付く。
何だか成り行きで一緒に歩いていることに気付いて、まずいと思う。
ちらと視線をアントーニョに送ると、今は子供相手に精一杯という感じで
迷惑がっている様子はないが……気まずい、よなぁ。
馬鹿みたいに、『好き』だなんて告げられた相手が隣に住んでる、なんてのは。
いい気はしないよなぁ。
結婚しているんだから、どうこうなるはずもないとはいえ…。
子供に近づかれるのも、本当は嫌かもしれない。
やっぱ…近いうちに別の部屋を探そう。
今の部屋、結構気に入ってたんだけどな…仕方ねーか…。
「あの、ロヴィーノ?」
遠慮がちにかけられた声に驚き、大げさに肩が揺れた。
「っぁ…な、な、なんだよちくしょー」
「え、いやあの…仕事って今何してるんかなぁって…」
「…あ、あぁ…別に、ただのバイトだ。馬鹿弟のやってる店の」
弟はデザイナーで、服飾ブランドを立ち上げて、小さな店だが
自分のブランドショップを駅の近くにオープンさせている。
そこの販売員として、バイトをしているのだ。
…もちろん、最初は弟の下で働くことに抵抗を感じていた。
元々大学を出てからちゃんとした就職をしたのだが、ある理由でやめてしまった。
そんな時に弟から『手伝ってほしい』って頼まれて…今に至る。
幸い弟のやっている店は弟の学生時代の友人である本田やルートヴィッヒなど
顔見知りばかりだったから、直ぐに馴染むことが出来た。
業務内容も特に変わったこともない。
ただ、販売員として客の相手をしていればいい。
その客も若い女性が多いからまぁ、それなりに楽しんでいる。
多分、弟は気を使っているのだろうことは明白だったが、
新ためて就職先を探す、ということに抵抗を感じてしまっている今は、
それに甘えさせてもらっている、というのが現状だ。
「フェリちゃんの?何の店?」
「え?……お前、知らないのか?」
頷くアントーニョに、首を傾げた。
てっきりフェリシアーノとはそれなりに連絡をとっているとばかり思っていた。
だって、アントーニョが結婚したことを伝えてきたのは、弟だったはずだから。
じゃあ弟は何で知っていたんだろう。と、考える…までもない。
ルートヴィッヒの兄であるギルベルトはアントーニョの友人だし、
フランシスとは今でも弟はそれなりに交流がある。
…でも、共通の友人もいるはずなのに、何故アントーニョは弟が何をしているのか知らないのか。
まさか二人揃って内緒にしているわけでないだろうに。
第一内緒にしておく理由がないではないか。
「駅の近くの“ベラドンナ”っていう若い女性向けのブランドショップだ。
オーダーメイドで紳士もののスーツも扱ってるけどな。」
「そうなんや。全然知らんかったわ。近くなんになぁ…」
まぁ大抵女性向けだからな。男は関心ないかもしれないが。
肩にかけていた鞄から新作が載っているパンフレットを取り出した。
「お前は興味ねーだろうが、奥さんにでも渡せ。
弟にしてはセンスのいいもんばっかだから」
丁度幼稚園の近くまできたからじゃあな、と不自然さもなく会話を切って別れる。
明日からはもう少し遅く出よう。
そうしたら、顔も合わせないで済むだろう。
幼稚園から大分離れてから、ほっと息をついた。
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