店に入るなり弟がちゃんとお隣に挨拶したか、とか
顔色悪いだとか僅かな目の腫れを目敏く見つけて
何があったのかと問い詰められ、うんざりした。全く煩いにも程がある。
心配をしてくれているのは分かるが、過剰すぎると鬱陶しいものである。
「本当にフェリシアーノ君はロヴィーノ君が大好きなんですね」
「うざったくて仕方ねーっての。本田からも何か言ってやってくれ」
「そうですねぇ…」
控えめに笑う本田に、笑い事ではないのだ、と伝えてもかわされてしまう。
俺の味方にはなってくれそうにない。畜生。
あ、だからって芋野郎には助けを求めたりしないぞ。
あいつに助けを求めるくらいなら死んだほうがまし……なこともないこともない。
何はともあれ、今日も何も問題なく無事にバイトを終えて、五時頃店を出た。
帰りにスーパーに寄って夕食の買出しをしよう。
今日は何を作ろう。新しい部屋のキッチンでちゃんと料理をするのは初めてだ。
昨日はそういう気になれずに、近くのコンビニ弁当で済ませ、
今朝も同様に簡単にパンとコーヒーで済ませたが、
本来、料理はそんなに嫌いじゃない。(片付けは嫌いだけど)
大学時代はイタリアンレストランの厨房でバイトもしていたし、
料理は趣味の一つでもあるのだ。
そんなふうに少し弾んだ気持ちで歩いていると、
『ロヴィーノにいちゃん!』と元気のいい子供の声に辺りを見回すと、
近くの公園から走ってきたちび分が足に絡み付いてきて、無邪気に笑った。
「にいちゃん、おしごとおわったん?」
「やめろこのやろー。…お前は何でこんなとこにいるんだよ。親はどーした?」
そう聞くと、ちび分は俯いてしまった。
「…おれはおとなやから、ひとりでかえれるもん」
「いや、子供だろお前は。どー見ても」
「おとなやもん!とーちゃんおらんでもひとりでへーきやもん!」
ぷくぅっと頬を膨らませるあたりが子供だと思う。
子供は苦手なはずなのに、ちび分はアントーニョに似ているせいか、邪険にしきれない。
だからつい、世話を焼いてしまう。
ちびの視線に合わせるようにしゃがんだ。
「抜け出してきたのか?」
「ちゃうもん」
「あのな、黙って一人で帰ろうとしてんなら、やめとけ。
その、…とーちゃんが心配すんだろ。かーちゃんは迎えに来れねぇのか?」
共働きなのだろうか。そういえば結婚したという女性の姿を一度も見ていない。
忙しい人なのだろうか、と思ってそういうと、ちび分の瞳からぼろっと涙が零れてぎょっとする。
「……おりゃんもん……」
「え?」
「かーちゃんやおらんもん。…りんごしたから、おれにはとーちゃんしかおらんのやもん!」
りんごってなんだよ。
びゃあああっと大声で泣き出したちびを慌てて抱き上げてあやしながら、
困惑した頭で考える。もしかして、『離婚』のことか?
そうか、それで昨日も今日もアイツの『奥さん』に会うことはなかったのか。
と、妙に納得してしまった。
「分かったから泣くなこのやろー」
子供に泣かれると、どうしてかこっちが悪いような気になってしまう。
どうか早く泣き止んでくれ、と念じた。
ちび分は肩口に額を擦り付けてすんと鼻をすすると、一応泣き止んだのか静かになった。
「あー…と、そう、そうかそうか。でもな、それなら尚更と−ちゃんが心配するだろ。
お前が急にいなくなったら、血相変えて探し回ると思うぞ。
仕事で疲れてんのに、必死でな。…大人だっていうなら、あんま心配かけさせんな」
な?と言い聞かせて、渋々頷いたちび分を下に降ろして、手を繋いで幼稚園に戻る。
大人しく手を引かれるままに歩く子供は、時折不安げに見上げてくる。
その視線に気付くと、『大丈夫だ』と笑んでやる。
それでちびはどう感じたかは分からないが、少しずつ表情が戻ってきた。
うん、やっぱりお前もアントーニョと一緒だ。
(笑ってる顔の方がずっといい)
*
門の辺りで先生らしき女性と、アントーニョが深刻そうに話しているのが見えた。
立ち止まってしまった子供の手を離して、そっと背を押してやる。
「ほら、早くいけ」
「うん…!」
元気良くアントーニョたちに向かって走っていく。
それに気付いたアントーニョはちび分をしっかりと抱きしめた。
「このアホー!心配したやんかー!」
「ほんまに、良かったわぁ」
「ごめんなさーい。」
そんな様子を少し離れたところでみて、踵を返す。
さて、帰って夕飯だ。今日はトマトのパスタだな。
上機嫌で来た道を戻りかけたところで、またしても足に鈍い衝撃。
「にいちゃーん!」
「うおっ!?」
足に絡みつくちび分はこちらを見上げてにこにこと笑った。
転びそうになったのを怒ろうとしたのに、その無邪気な笑顔に
その気は失せて、溜息をついた。
(なんでコイツはこんなにアントーニョに似てやがるんだ…)
「これが惚れた弱みとかいうなら最悪だぞ畜生が…」
「???」
「なんでもない。なんだこのやろー。まだ俺に用があんのかよ」
「うん、にいちゃんありがとーって」
おとうちゃんが、というのでちび分から視線を後ろにやると、
アントーニョが立っていて、目が合うとぎこちなく笑った。
「ロヴィーノが、ちびのこと連れてきてくれたんやって?
ほんまありがとうな!誘拐でもされたんとちゃうかってめっちゃ心配してん」
「…別に、礼言われるほどのこと、してねーし…」
「ううん!そんなこない!!…ほんま、ありがとう」
ふにゃりと笑う笑顔に、ぎゅっと胸が締め付けられる。
顔が赤くなっていくのが分かったから、ぐるんと勢い良く振り返った。
(畜生。そんな顔で笑うじゃねー!!)
嬉しくて頬が緩みそうになるのを必死で耐えた。
絶対変な顔になってるだろうが、背を向けているから気付かれないだろう。
―――だって、もう二度と笑いかけてくれないと思っていた。
再会しても視線も合わせてもらえない
余所余所しい空気に、泣きたくなった。
あの時の告白で嫌われてしまったのは分かっていても。
諦めが悪いと我ながら思う。
だけど、どうしたって俺はお前が好きだった。
ずっと、ずっと、変わる事はなかったんだ。
「っじゃあ、俺帰るからな!!」
このままここにいたら泣きそうだったので、そのまま走り出しそうな勢いで
そう告げる俺の腕を、がっちりとアントーニョが掴んだ。
「待ってや。ロヴィももうバイト終わったんやろ?
せやったら、うちで一緒にごはん食べへん?今日のお礼に!」
「べっ別にいい!俺は何にもしてねーし!」
「わーい、にいちゃんとごはん〜!!」
「今日は親分特製のパエリアやで〜。めっちゃ美味いの作ったるからな〜」
「お、おい!いいって言ってんだ!聞けよ!!」
人の話も聞かないでぐいぐい腕を引っ張られていくので、足に力を入れて抵抗してみる。
けれど、もう片方の手をちび分が握ってきた。
「にいちゃんいこう〜?」
何て愛らしい笑顔で言われると、無駄に抗うのも馬鹿らしくなってくる。
これ以上意地を張っても仕方がない、と判断して黙って従うことにした。
*
なんだかんだと引き止められて、ちび分が寝入ってしまうと、
アントーニョはちび分を奥の寝室に連れて行き、寝かしてくると
『じゃあそろそろ帰る』という俺を、またしてもアントーニョに引き止められた。
「一本どや?」
飲めるか?と缶ビールを一本手渡してくる。
『まぁもう少しだけなら…』と仕方なく立ち上がりかけたのを座り直した。
けれど、いいのか本当に。
ずるずると長居してしまっているが、アントーニョはいいんだろうか。
嫌じゃないのか?
実は内心早く帰れとか思ってんのかもしれない。
なら、断るべきなのか。
いや、引き止めるようなことをしているのはアントーニョの方だ。
俺は別に好きで居座っているわけじゃないんだ、と何故か内心で言い訳をして
プシュッとビールの蓋を開けた。
「乾杯!」
カン、と缶を合わせて、アントーニョはぐいぐい飲んで『ぷはぁ』と缶をテーブルに置いた。
「親父かよ」
「ロヴィも遠慮せんと飲みや〜?」
手元の缶を見て、ゆっくりと口をつけた。
思っていたよりも喉が渇いていたのか、ごくごくと勢い良く飲み、
一気に半分くらいに中身が減ってしまった。
「ロマも結構飲めるんやね。」
「…うるせぇよ」
「なんか、不思議やわー。ロヴィーノとこうやって酒飲める日が来るとは思わんかった」
俺のぐっと強張った身体に気付きもせずにアントーニョは再びビールを煽った。
「俺、ロヴィに嫌われとると思ってたし」
「はぁ?」
「折角久しぶりに会うたのになんや素っ気無いし〜寂しかったわぁ」
…何、言ってんだこの野郎は。
缶を握る手に力が入った。
苛立ちを隠しもせずに叫んだ。
「そりゃお前の方だろーが!!」
「え?」
「目合わせようとしねーし、なんか余所余所しいし!そんっなに俺のことが嫌いなのかよ!?
お前がそういう態度だったから、必要以上に接触しないようにしたんだろーが!!
…なのに、っ…」
じわっと滲んだ涙を慌てて俯いて隠した。
素っ気無いのが寂しかったのは、俺の方だろ。
なのに、お前がそれを言うのかよ。
ふざけやがって…畜生!
「え、と…ごめんな、」
「うるっせぇ畜生!俺、帰る!」
缶をテーブルに乱暴に置いてソファから立ち上がった俺の手を、アントーニョは咄嗟に掴んだ。
振り払おうとするけど、ぐっと強く掴まれて、出来なかった。
「は、なせっ!」
「ごめんって!…せやって、ロヴィがべっ…いや、格好良くなってて、
俺の知っとるロヴィーノやないみたいで、ビックリして…戸惑ってもうたんやもん」
その言葉にピタリと動きを止めた。
(格好いい?)
視線を合わせると、へらっと笑う頬はほんのりと赤くて、
ちょっと可愛いな、と思ってしまった。
(格好いい…まぁ知ってるけどな!!)
すとんと座り直すと、アントーニョは手を離した。
「俺が最後に会うた時は背とかまだこんくらいで、
怒ったら頬っぺたトマトみたいにして…ぶふっあかん、かわえかったわ〜」
「いくつの時の話してんだよ!!大体最後に会った時高1だぞ!?
んなちっちぇわけねーだろーが!!」
アントーニョが自分の胸辺りを手で示して思い出し笑いなんかするので
べしっと頭を叩いてツッコんでおく。
大体何で2つしか年の違わない男に子ども扱いされなければいけないんだ。
…まぁ、アントーニョにとって俺は弟分でしかないってことなんだろう。
アントーニョにとっての『対象外』であることは、あの時身をもって知った。
なのに、どうしてまだ胸が痛むんだろう。
(上手い事あの時のことをはぐらかされたな…)
「ロヴィはあれからどないしてたん?大学どこ?」
「…N大」
「N大かぁ、家から近いとこやな。そんで、フェリちゃんとこでバイト?
ロヴィ、兄ちゃんやのにフェリちゃんに雇ってもろてるとか……
相変わらず、ロヴィーノはフェリちゃんにベッタリなんやなぁ…」
「オイコラ。逆だ、逆!アイツが俺に引っ付いてくんだよ!」
「またまた〜。ほんっま、ロヴィはフェリちゃん大好きやねんから〜」
「好きじゃねーよ、畜生!大体、俺だってちゃんと就職してたんだよ!」
「えー、嘘やろ?」
「嘘じゃねーよ!!」
疑うアントーニョの目を睨み、反論する。
「大学出て、S州に移ったんだ。会社がP市だったから。…半年で辞めて
こっちに戻ってきたのは、一年前くらいだけど」
「え、ほんまに?」
「本当だ。そんなに疑うなら弟にでも聞けよ」
ふんとテーブルに置いたビールを煽った。
そんなに疑うほど、どうしようもねー野郎だと思われていたなんて、心外だ。
「せやったら、なんで辞めてもうたん?」
ギクリと身体が強張った。
じわじわと黒いなにかに呑まれそうになって、
…『辞めた理由』の原因を思い出しそうになって、
無理矢理“それ”を押し込むと、声を絞り出した。
「………上司が気に食わなかったんだよ」
「そんな理由で?ほんま…ロヴィーノらしいっちゅーか、なんちゅーか…」
「うるっせぇな!俺のことよりお前はどうなんだよ。バツイチのくせに」
そういうと、アントーニョの表情がぐっと強張った。
触れてはいけないことだったのだろうか。
しかしそれならお互い様だ。
「…どうせ、お前が空気読まなかったとか、鈍感すぎて相手の人怒らせたとか、そんなんだろ?」
「…そんなんとちゃう。」
思っていたよりも低い声が返ってきて、驚いた。
怒らせたか…?
視線をアントーニョに向けると、顰めた顔が見えた。
「相手が浮気して…他所に男つくってたん。
で、ソイツと一緒になりたいから離婚せぇって言うてきたんや。
…ほんま勝手な女やで。」
アントーニョは苛立たしげにビールを煽って空になった缶を握りつぶした。
俺はそれにかける言葉もなくて、黙って聞いていた。
「ロクにちびの世話もせんと遊んでばっかりやったし、正直清々したわ。
振り回すだけ振り回して、次の獲物みつけたらぽい、か。ほんま、よぉやるで」
アントーニョはそう吐き捨てた。
暗い顔で恨み言をいうアントーニョなんて、始めて見た。
俺の知っているアントーニョはいつでも明るくて、悩みなんてなさそうだったのに。
・・・ま、大人になったってことなんだろうけど。
アントーニョは、その人のことを好き…だったんだろう。
じゃなきゃ結婚なんてしない、よな。
浮気されて余程悲しかったんだろう。
辛かった、だろうな…。
そんなふうに思って、思わずアントーニョの頭を撫でてしまった。
久しぶりに触れた髪は、柔らかくふわふわとしていて気持ちが良かった。
え、と驚いた顔したアントーニョに気付いて、手を引っ込めた。
けれど、アントーニョはこてんと肩に頭を預けてきた。
「さっきの、もう一回やって」
「…仕方ねーな」
そうっと触れるとアントーニョは嬉しそうに笑った。
*
すっかり深夜になってしまった頃、部屋を出る前に、アントーニョが言った。
離れてる間、お互いいろいろあったけど、
出来ればまた仲良くして欲しい。
それに俺は頷いてしまった。
それはつまりまた『幼馴染』として、今は『お隣さん』として。
良き友人でいようということなのに。
それでもいいから、嫌われていないなら傍に居たいなんて。
俺は本当に学習しない馬鹿野郎みたいだ。
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