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レストランに入るとすぐさまボーイがやってきて
アントーニョの顔を見るなり恭しく窓際の一番いい席に案内された。
どうやらアントーニョは上客の中でもかなり上客らしい。
(一体何者なんだ…?)
良家のボンボンとかには見えないし、かと言ってバリバリ働いている
どっかの社長とかそんな風にも見えない。
少し気になったが、料理が運ばれてくるとそんなものは頭の隅においやられてしまった。
生ハムの前菜、カプレーゼ、新鮮な野菜とアンチョビとトマトのアーリオオーリオスパゲッティ、
子羊の香草パン粉焼き…と五つ星レストランでイタリア料理とワインを心から堪能し、
ロヴィーノは上機嫌だった。
噂に違わず料理の味に煩いロヴィーノですら文句なく素直に頬を綻ばせるほどに美味しかった。
残るはデザートだとわくわくしながら待っているロヴィーノを見て、
アントーニョはふと小さく笑みを零した。

「…なんだよ」

自分を見て笑うアントーニョにロヴィーノは途端に眉間に皺を寄せた。

「あ、ごめん。かわえぇなぁって思ったらつい…」
「お前、それが既に馬鹿にしてんだろーが!」
「えぇっちゃうよー!やって、舞台で見せる顔より、
そっちの方が…うん、いい顔して笑ってたから」

そっちの方がずっといいとそうアントーニョは言った。
その言葉に、不覚にもロヴィーノは『嬉しい』と感じてしまった。
何しろさっきまでは思い切り“素”だったのだ。

(不覚だ…こんなのは)

それだけ料理が美味しかったのも本当。
けれど、理由はそれだけじゃなかった。
さっき初めて会って、話したばかりなのにどういうわけか
ロヴィーノはアントーニョと一緒に居る事が嫌ではなかった。
こんなのは初めてだった。
孤児になった自分達を引き取った義理の父でもある劇団のオーナーの命令で
金持ちたちに寄付金と引き換えに『もてなし』をしていた。
あの時とほとんど状況は変わらないはずなのに…――――――。

グラスに口をつけながらちらりと目の前の男に視線をやるとぱちりと目が合ってしまった。
優しく目を細めて笑って、何?と問うその表情にドキリとして視線を思いきり逸らした。
体中から火が出そうだ。心臓の音もやけに煩く聞こえて耳障りだし、頭がクラクラしてきた。
きっとワインのせい。こんなの、はきっと。
そうに違いない。
そうじゃなかったらアントーニョが何か変な魔法でもかけたんだ。
あの時に…――――――。


手の甲にキスをされた時?


風で煽られて張り付いた髪を耳にかけてくれた時?


いや、それよりももっと前?…舞台の上で目が合った時…――――――?



「それにしても、本当に『歌姫姉妹』のオペラは最高に良かった!」
「えぇ、そうね。噂には聞いていたけれど、本当に素晴らしかったわ。
特にラストの辺りの二人のハーモニーが…!幸せになれる、天使の歌声って本当かもしれないわね」

視線の先で楽しそうに歌姫の話をする男女を見て、途端にすっと心が冷めていった。
視線を手元のワイングラスに戻し、俯いた。

「『幸せになれる』、か…俺の歌にそんな力ねぇよ…」

もし聴いただけで幸せになれるとしたなら、それは弟の歌だろう。
アイツの…フェリシアーノの歌声はホンモノだ。俺と違って…。
そもそも、オーナーだって最初はフェリシアーノだけを望んでいたのだから。



二人を育ててくれていた祖父が亡くなり、本当に孤児になってしまった俺とフェリシアーノが、
いよいよ途方に暮れていた時だ。
当時殆ど客も来ない小さな歌劇団でいよいよ解散の危機に陥っていたオーナーは
たまたま訪れた教会で賛美歌を歌っていた弟の歌声を聞いてその才能に目をつけて
歌姫として育てるべく引き取ることを申し出た。
しかし、肝心の弟は首を縦には振らなかった。
成功したら金でも宝石でもなんでも手に入るというオーナーの声にさえ、首を横に振り続けた。
互いに利害はあった。
弟は路頭に迷うことはないし、きっとフェリシアーノが劇団に入れば
オーナーのオペラハウスには人が集まるだろう。
けれど、それでも弟は目の前の安息の場所と
誰にも眉を顰められない仕事と名声に手を伸ばそうとはしなかった。
困り果てたオーナーが尋ねた。

『では、どうしたら歌手になってくれるんだい?』
『…兄ちゃんも一緒なら』

同じように歌っていたほかの子供たちに埋もれていたロヴィーノに、
そこでオーナーは初めて気付いたのだ。

――――――そう、初めから実力の差は歴然だったのだ。

なのに、フェリシアーノが望むから。

『あの子が言うから引き取ったにすぎない』

フェリシアーノのおまけでしかないという現実を突きつけられ、打ちのめされた。
けれど拒否をしたくてもこのままいつ野たれ死ぬかも分からない路地裏生活をする
運命から逃れるにはそれしか術がなかったのだ。



『今のお前があるのは役立たずな兄さえも見捨てなかった慈悲深いフェリシアーノのおかげ』


『ならば、そのフェリシアーノがより輝けるよう支えるのは、お前の仕事だ』




「…そうやろか?」

苦い記憶を思い出してそれに頭を支配されかけていたロヴィーノは
アントーニョの声にはっとして顔を上げた。

「確かにあの子の歌声は天使のように綺麗な歌声やけど、
でも、俺はロヴィの歌声好きやで?ずっと、聴いていたいくらい」


舞台を見ているだけで満足していたのに、
今は本物がこんなに近くにいて生きて動いて喋ってる。まるで夢のようだ。


「人間て欲深いんやなぁって今再認識したわ」

苦笑するアントーニョに首を傾げた。
どういう意味だと目で問うと、アントーニョは溶けそうなほど甘い微笑みを向けてきた。
それを直視してしまい、うっかり心臓が音を立てて慌てふためいた。
上手く誤魔化されたことに気付きながらも、それが嫌だと思えなくて困った。
もう違うと否定出来なくなってしまった。

一緒にいるのが嫌じゃない。
近くにいたい、もっと傍に。
そしてアントーニョの『欲』に溺れてみたい。


『還りたい』と願う海がそこにある気がした。






「名前…」
「うん?」
「名前、呼べ。舞台名じゃなくて、“ロヴィーノ”って…」








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2014/8/24 初出
2014/9/1 up