宛がわれた海側ツインルームの窓から差し込むあたたかな光に
ロヴィーノはゆっくりと目を覚ました。
耳を澄ますとさざめく波の音が心地よいBGMとなって
朝の気だるさを感じることなくすっきりと目が冴えた。
このクルーズ船に乗って早くも五日目。
今日は別の劇団が舞台を使うことになっているので
『歌姫姉妹』としての公演はなく、完全な休暇になる。
船内の施設は上客のみの利用や別料金など制限のあるもの以外は
基本的に無料で利用出来るとあって、他のメンバーは昨日それぞれ予定を立てて
この休暇を楽しもうと盛り上がっていたが、ロヴィーノは特に何も考えていなかった。
隣のベッドで寝ていたフェリシアーノも起きて、身支度を整える頃に
見計らったかのように客室係が朝食を部屋に運んでくれる。
…最初は朝食のルームサービスなど頼んでいない、と戸惑ったのだが
どうやら今回の公演の依頼人であるこの船の所有会社の社長がスタッフに
朝食は部屋に運ぶよう頼んだらしい。
これは他の団員には行っていないサービスのようで、最初は訝しんだのだが、
社長は歌姫二人のファンなのだ、と美人の客室係に言われ、一先ず納得した。
真意は良く分からないが毎日美味しいものがお腹一杯食べられるので
なんの文句もないし、今回の仕事は当たりだな、とフェリシアーノと目を合わせて頷きあった。
焼きたてのパンに具がたっぷり入った固めのオムレツ、
ピリ辛のチョリソーや新鮮な野菜が綺麗に盛り付けられたサラダ
りんごやいちご、オレンジや葡萄といったフルーツにヨーグルト。
いつもの甘めのパン一つとコーヒーという朝食を食べていたせいか
これだけで物凄く豪勢な朝食だった。
パンはおかわりし放題、飲み物も好きなものをたくさんの中から選べて
いくら飲んでも料金は取られない。
「つい食べすぎちゃうよねー」
「美味いからな」
この船に乗る前と体重を比較したらきっと確実に増えていることだろう。
普段の食生活は決していい方ではない。
何しろオーナーは自分を飾ることには躊躇なく金を使うが、
他に対しては節約をしろと切り詰めて切り詰めての生活を迫られている。
おかげで満腹になるまで食べられた試しがない。
それでも食いっぱぐれないだけマシ、と割り切るしかない。
「兄ちゃん、今日どうするの?遊びに行ったりする?」
「別に何も決めてねーし、部屋で寝る」
「ヴェー…そっかぁ。俺はちょっと人と約束があるから出かけるけど、
もし出かけるならコンシェルジュに伝言しておいてくれる?」
夕方までには戻るけど、とフェリシアーノはコーヒーを飲みながら言った。
「なんだ、早速彼女でもできたのか?」
「ウヴェェ…そうだったらもっとお洒落するよー」
カジュアルなカフェは服装は自由だがメインダイニングなどレストランは大抵
ドレスコードでフォーマルな服装でなければ入れない。
だからフェリシアーノも今日は普段着のシャツではなく淡いブルーのカッターシャツに
濃紺のストライプが薄ら入ったベストとスラックスを着ている。
フェリシアーノは相手が女性ならネクタイの色まで拘るだろうが、
今日は適当にクローゼットから出していたのでそれはないと踏んで、
少しからかってみただけだ。
(休暇、か)
ふとアントーニョの顔が浮かんでぶんぶんと頭を振った。
ここ最近舞台が終わるとアントーニョと会うのが日課みたいになっているが、
いつも会うのは夜で、昼間彼がどうしているかなんて実は何も知らないのだ。
名前だって、『アントーニョ』というぐらいしか知らない。
だからと言って、詮索する気はあまりない。
確かにアントーニョのことは気になるが、きっと船を降りればあっと言う間に忘れてしまう。
俺もアイツも、所詮は赤の他人なんだ。
そして、アントーニョは自分と違ってそこそこの金持ちなのは分かる。
生きる世界が違うのだ。
真夏の夜の夢だ。
分不相応な夢は見ないに限る。
(けど…毎回オーナーに許可貰ってるっていうわりには何も要求してこないな)
オーナーも相手がごまするに値すると見れば擦り寄っていくのに
ココ最近は全く姿を見ていない。
舞台も見に来ないし、おかげでやりやすいと団員が零していたのに
心中で同意したものだが…ここまで音沙汰がないと
逆に何かの前触れではないかと恐ろしさもある。
「…アイツ…オーナー、どうしてる?」
「オーナー?…なに、兄ちゃん気になるの?」
「この船に乗ってから雑用押し付けてこねーだろ。
逆になんかあるんじゃねーのかって思っただけだ」
そういうとフェリシアーノは複雑そうな顔をした。
フェリシアーノに対しては甘いオーナーだが、
逆にロヴィーノに対してはきつく当たっているのを見て来たフェリシアーノは
何もない方が怖いというロヴィーノが痛ましく思えた。
「オーナー、ねぇ…心配しなくても、あの人は連日社長さんに接待されているみたいだから
逆に忙しくて俺たちには構っていられないみたいだよ。
だから、兄ちゃんは気兼ねなく休暇楽しんで大丈夫だよ」
「ふーん…?」
だったらどこか行ってみようか。
そう思いつつ朝食を食べ終えると、フェリシアーノは出かける準備をして
部屋を出て行きかけてそうだ、と今思い出したとばかりに
部屋の中へと舞い戻ってきた。
「社長さんの秘書さんに渡す書類、あと兄ちゃんの分の
サイン貰うだけなんだ。お願いこれに必要なこと書いてー!」
「あ?なんの書類だよ」
「今回の航海が終わったあと出演者それぞれに渡したいものがあるんだって。
そのための書類だからって言ってたよー」
何だそれ。
と疑問が湧いたが言われるままに書類に書き込んで渡すと
フェリシアーノはあからさまにほっとした表情でそれを受け取った。
「じゃあ、今度こそ行ってきます!」
手を振って部屋を出て行ったフェリシアーノを何とはなしに見送り、
さて、とコーヒーを堪能しながら船内施設の案内が載った
リーフレットを手にとってテーブルに広げて見ていると
ふいに部屋のドアがノックされた。
一度は気のせいかと思ったが二度三度と音がすると、
まさかオーナーではないかと身体が強張った。
(噂話なんかしたからか…?)
オーナーなら無視をしたりすればあとでどうなるか、身を持って知っている。
ドアに近づき、ごくんと唾を飲み込み、そっとドアスコープを覗いた。
(あれ?)
そこに佇むのは恐れていたオーナーではなかった。
すぐにドアを開けるとその人は顔を出したロヴィーノににこやかに微笑んだ。
「ロヴィ、おはようさん」
「何してんだ、お前」
いつもとは違って何故かスポーツウェアを着たアントーニョは
満面の笑顔でロヴィーノでも知っている有名なスポーツ用品店の
ロゴが入った紙袋を押し付けると言った。
「今日休みなんやろ?一緒に遊ぼうかなと思ってな。それに着替えてや」
「はぁ?なんでだよ。嫌だぞ、今日は部屋で寝るって決めてんだよ、俺は」
「えっあかんの?!」
そうか―…と見るからにあからさまに落ち込むアントーニョに
何故かこっちが悪い気がしてくる。
「あぁっもう!分かったよ、畜生!ちょっとだけだからな」
そういうとアントーニョはぱっと目を輝かせてうんうんと頷いた。
その変わり身の早さに呆れながら一度部屋に引き込むと
押し付けられた紙袋から中身を取り出すと、
それはアントーニョが着ていたウェアと同じものだった。
*
着替えて部屋の外に出るとすぐにアントーニョはロヴィーノを連れて
船内にあるフットサル場へと向かった。
初心者向けにインストラクターがついて一通りの説明を受けるコースもあるが
ある程度の経験があれば飛び入りで試合に参加も出来るらしい。
「ロヴィはサッカーやったことある?」
「真似事なら、ちょっとだけ」
スポーツはやるより見るほうが多い。
そう言うとボールの蹴り方、止め方、パスの回し方なんかを
実践で少しだけアントーニョと練習をした後、
飛び入りで少しだけ試合に混ぜてもらえることになった。
ただ、ボールを蹴るだけなのに不思議なほど楽しくて、
あっという間に夢中になった。
試合も勝ち負けなんて殆ど気にしない、気楽なもので
しっぱいしてもアントーニョや周りがフォローしてくれたり、
逆にフォローしたりと和気藹々と純粋にスポーツを楽しんだ。
正午を過ぎてから一旦昼食にしようとフットサル場を後にした。
ウェアのままカフェに入り、軽い昼食を取った。
「どやった?」
「…そこそこ楽しかった」
こんなふうに汗をかいてスポーツをしたのは本当に久しぶりだった。
普段は自由な時間が少ないというのもあるが、
あまり舞台の練習以外のことをしにくい環境にある。
「よかった」
ふんわりと微笑まれてドキリとして視線を逸らした。
「ロヴィ、意外と上手ぁてビックリした」
「でも結局一回もゴール決まらなかったけけどな」
「あはは、せやなぁ」
アントーニョは他のチームメイトにも卒なく接してパスを回し、回され、
何度もゴールを決めていた。
初心者コースを受けていた女性陣から黄色い声援も受けていた。
(そりゃまぁ少しくらいは格好いいかもしれねぇけど)
むぅと唇を引き結んだロヴィーノにアントーニョは微笑ましく思った。
フットサルをしている時はやはり年相応で、笑った顔が見られて
アントーニョは密かに満足した。
舞台上の妖艶な姿を見せる美しいドレスを纏うロヴィーノもいいが、
こうして明るい日差しの中で笑うロヴィーノも愛らしく、好ましかった。
デザートのケーキの上に乗っていた苺を摘むと、
アントーニョはロヴィーノの唇に宛がった。
「んっ」
「あげる」
急に何をするといいた気な目に、笑ってそういうとロヴィーノの開いた唇から
赤い舌が覗き、苺を口の中へと誘い込む。
その様子がどうにもいやらしく思えて、ごくりと思わず喉を鳴らした。
果肉をごくりと飲み込んだロヴィーノはじっとりと焼けるような視線を感じて
アントーニョ?と首を傾げる。計算されたかのようなその仕草に
それでもいいと誘われるように唇を重ねた。
少々強引に荒々しく口付け、溜まらず開いたロヴィーノの口腔に舌を差し込む。
驚き身を引こうとしたロヴィーノの後頭部に手を回して固定してしまうと、
困惑しながらも目を閉じて受け入れたかのように目を伏せたロヴィーノに
より一層求めるようにその唇を味わった。
ほんのりと甘酸っぱい味がした。
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