結局あのまま泣き疲れて寝てしまった。
起きても何もする気がおきずに、不貞寝を繰り返し、夜になってから
メイドさんが用意してくれた部屋に通された。
通された部屋は一階の客室のうちの一つだ。
二人がけのソファセットにクローゼット、窓際に書き物をするための机、
その奥が寝室に続くドアになっている。
とりあえずはここで…ということらしいけど、
ひとりで寝るにはやはり大きすぎるベッドに潜る気にならなかった。
ふかふかの布団は気持ちいいけれど、冷たく感じてしまう。
ずっと隣にあった暖かな体温が感じられないせいだろう。
(もうどうせなら、書斎の床でいい…)
そう思えてしまうほど、味気ない部屋に感じた。
考えてみたらここに来るまでは俺の寝床は床だった。
冷たい床に布着れみたいな毛布が一枚。
前に居た貴族の家ではベッドがあった…ような気がする。
その辺りの記憶は曖昧でよく覚えてない。
直ぐ傍に感じられるぬくもりがなかったら、こんなにも寂しいものなんだ。
ロヴィーノは床に膝をついてベッドに頭をのせた。
なぁ…アントーニョ…お前はどうして、俺を買ったんだ?
ここには居ない人物に心の中で問いかける。
ちゃんとした理由を知りたかった。
アントーニョはいつもはぐらかしてばかりでちゃんと教えてはくれない。
知らないから、俺は何も出来ない。どうすればお前が喜ぶのか、何のための俺なのか。
それが、知りたいと思うのに、でも…もう、お前は俺のことをいらなくなったんだろうな。
だから、離れていこうとする。傍に、置いてもらえなくなる。
いや、それだけじゃなくて……嫌われたのかも…しれない。
また泣きそうになって、だけどぐっと耐えた。
いらない、なんて言うなよ。
ずっと居ていいって言ったの、お前じゃねぇか…ちくしょうが。
どこにも、行くなって………家族、だって…言ったのはお前なのに。
(…なんだか、段々腹が立ってきたきたぞこのやろー)
ちらりと時計に目を移す。もうすぐ日付が変わる。
…けれど、アントーニョはまだ…帰ってこない。
一度逡巡した後、持ってきてしまったアントーニョの白いシャツに
袖を通して着込むと、枕を持ってアントーニョの寝室に向かった。
そうだ。どうせ終わるなら、言いたいこと、言ってやる…!
怒られたって、嫌われたってもうどうせ。
寝室のドアを開けて、アントーニョのベッドの上にボスンと座る。
アントーニョの野郎…早く帰ってきやがれってんだっ!
*
待ちくたびれてうとうとと船を漕いでいると、階下が少しだけ騒がしくなった。
どうやらやっと帰ってきたらしい。
ここまで来たからには、後には引けない…。
しかし今更ちょっと怖くなってきた。
やっぱり、戻ろうかと迷いが生じる。
けれど逃げ出したくなる心を奮い立たせぎゅうと拳を握り締めた。
その時、ガチャと扉が開いて顔を上げた。
部屋に入ってきた少し疲れたような顔をしたアントーニョの瞳が驚いたように見開く。
目が合って、けれど何を言うか、どう話すかということを
決めてなかったことに今更気が付いた。
(てめーっ来るのが早すぎるんだよちくしょうが!)
「…っお、」
「…―――なんで居るん?!」
とりあえず、いつもどおりおかえりと言い掛けた声を
いつもよりも数段低い声に遮られ言いかけた言葉を飲み込んだ。
眉を顰めて睨むようにこっちを見据えてくるアントーニョは凄く怒っているようで…
なんで、…怒んだよ…。
怒りたいのは、俺の方のはず…!
「ロヴィーノの部屋はもうここやないやろ!ちゃんと自分の部屋で寝ぇや!
あと、こんな時間まで起きとったらあかん!はよ寝ぇや!」
アントーニョの言葉に冷や水を浴びせられたような気がした。
以前なら眠れないのか、じゃあ羊さんでも数えようかって一緒に眠ってくれたのに。
なんだよ…やっぱり俺のこと…邪魔なんじゃねぇか…。
じわりと瞳に涙が浮かんだ。
「…んで…駄目なんだよ…。」
「駄目なもんはだめなん。えぇから早ぅ…!」
昼間も散々泣いたからもう枯れたと思ってた涙が、
ぽたりぽたりと頬を伝って膝の上に落ちた。
「そんなっ…怒るなよ、こんちくしょうがぁ…!」
「…っ」
ぼろぼろと泣き始めた俺に、途惑いながら、でも前みたいに抱きしめることはせずに、
言葉を探しているようだった。
そんなアントーニョに更に悲しくなった。
「なんで俺のこと、避けんだよ…っ!一人で平気なんて言うんだよ…!
俺のこと…―――――家族って言ったくせに…!なんでだよ…―――!!」
苦しい。胸が痛い。それなのに涙を止めてくれるお前は、もう…いないのか。
「ろ、ロヴィーノ…。」
「もういっ…もういい!お前なんか…嫌いだ!!」
「!」
また心にもないことを言った。
嫌いなのは、自分自身。
俺がこんなだから、お前も俺のこといらなくなるんだ。
…もうきっと、完全に嫌われるかもしれない。
きゅっと唇を噛んだまま、ベッドから降りる。
ごしごしと袖で涙を拭ってアントーニョの横をすり抜けようとした。
「ろ、ロヴィー、待ってや!あのな…。」
「うるせぇ!…―――――もういいっフランシスのとこに行く!」
「……は?なんでフランシス?!」
「俺のこと、いらなくなったんだろ…?だから、出てく。
アイツ、俺のこと可愛がってくれるって言ったし。
美味しいお菓子もくれるし。俺、アイツの作る菓子は嫌いじゃねぇから。」
「そうやなくて!いらんなんて、俺、一言もゆうてへんやん!」
「嘘ついてんじゃねぇよ!いらなくなったから、邪魔だから、俺のこと…!」
扉に手をかけて、その手をぎゅっと握った。
その先はもう、言いたくなかった。
開けようとした扉を、後ろからアントーニョが開かないように押さえた。
「待ってや。そんなこと思ってへんよ!そうやなくて…!」
「もういいって言ってんだろっ!離せこのやろー!世話になったなこのやろー!
もう迷惑かけねぇからいいだろ!ちくしょう、が…!?」
ぐっと手首を掴まえられたと思ったら、強い力で引っ張られて
あっという間にベッドに引き倒された。
見上げたアントーニョの瞳はギラギラとした怒りの炎が見えた気がした。
その強い瞳に、このやろーとか、ちくしょうとか、
思いつく限りの悪態を吐こうと思っていた口を噤むしかなかった。
ぞっとするような、強い光に、身が震えた。
「…フランシスのとこに行く…?あかんゆうとるやろ…ロヴィーノは…俺のやろ…?」
「…っぁ…。」
俺の両手を押さえていた片方の手が上がる。
(殴られる…!)
そう思って、ぎゅっと目を閉じた。
無意識に唇が『ごめんなさい』と動く。
ひたすらに、唇はその言葉を紡ぐ。
やだ、嫌だ…いやだ怖い。
(謝るから。だから…――――――)
それは、殴られることじゃなくて。
怒られることでもなくて。ただ、アントーニョに嫌われるのが、怖かった。
…――――――衝撃は、来なかった。
けれど。
只管『ごめんなさい』を繰り返す俺の唇に、柔らかいものが触れた。
そっと目を開けると、アントーニョの顔が間近にあって。
振り上げた片手は今は俺の顎を持ち上げるように添えられていた。
あぁ、こいつよく見ると結構整った顔してんだなぁ…。
なんてぼんやり思っていたら、緑の瞳とかち合って。
そしてどういう状況なのか、理解した。
キス、されて…る?
「…んな…っんんっ!!」
頬に熱が集まるのが分かって、慌てて離そうとしたけど、
押さえ込まれているから出来なくて。
声を出そうとしたその隙をついて、アントーニョの舌が口内に侵入してきた。
ちょっと、待て。
ちょっと、待て!
こんなキスは、したことがない。「ぁ…んぅっ…!」
「息、して…ロヴィ。」
「ふぁ…っアントー…ニョ…っ」アントーニョの低くて熱い、男の声に、ぞくりとした。
それは悪寒とかではなくて、体が熱くなってどこか切ない。
舌を絡め取られて、深く、深く口付けられる。
どちらのものとも分からない、唾液が俺の顎を伝った。
苦しいのに。
頬や額にくれた優しいものじゃないのに。
頭が真っ白で何も考えられないのに。
なのにこのキスは、気持ちいいと思った。
やがて唇が離されると、アントーニョは息切れしている俺の口元を拭った。
「ごめん…。」
そう言って、身を起こして悲しそうに目を伏せる。
なんだよ、それ。
「なんで謝んだよ…。」
「やって…ロヴィーノ嫌やろ?こんなん…。」
「誰が嫌って言ったんだよ…っお前こそ、俺のこと…。」
「俺がロヴィーノのこと、嫌うわけないやん!ありえへんわ!」そ
う言って、ぎゅっと抱きしめられた。
痛いくらいに。
今までのを埋めるみたいに、強く。
「ごめん…ほんまごめん…!」
「……何で、避けてたんだよ、このやろー。」
「…それは、やなぁ…。男には…いろいろあんねん!」
「俺も男だぞ、このやろー。わけわかんねぇぞこのやろー!」
「せやな…あの…怒らんで聞いてや…?」
「内容による」
苦笑しながら、アントーニョは切り出した。
「ロヴィーノが、な…背も伸びてきたやん?」
前から別嬪やと思っとったけど、それが成長するにしたがって
可愛いから、美しいとか綺麗になったことに途惑って、
っていうか、ムラムラしてきてん!今まで平気やったのに!
で、どう触ったらいいんか、分からなくなった。
…と、のたまった。
「…バーカ」
「うっ…やって、ほんまに…今もドキドキしてん」
「…そんなの…」
(俺だって同じだっつーの!)
密着した体から、どちらか分からないやけに早い心臓の音が聞こえる。
互いの体温は熱くて溜まらなく恥ずかしくて、
どこかムズ痒くて…でも嬉しい。
あぁ、そうか。俺は…――――――。
アントーニョのことが、好き…なんだ。
「もう…そんなことで避けたりすんなよ。」
「ん…ほんまにえぇの?…ちゅーとかしても嫌やない?」
「っ…んなの…今更だろーが。前からお前好きにしてたじゃねぇか。」
「やー…うん。そやねん、けど……さっきのみたいな、とか。」
さっきの。
言われて、更に体が熱くなった。
きっと今、俺の顔はコイツの言う『トマトみたい』に赤いに違いない。
それを気付かれたくなくて、アントーニョの胸に顔を押し付けた。
「…い、嫌だったら殴る。から、すきにすればいいだろっこのやろー!」
「ん、じゃあ好きにする。も一回してもえぇ?」
「いちいち聞いてくんじゃねぇーっちくしょうが!」
「じゃあ顔上げてや、ロヴィーノ。」
恥ずかしくて、顔から火が出そうだ。
じわんと潤んだ瞳でそろそろと顔を上げる。
その様子にアントーニョは緑の瞳を細めて笑った。
あぁ、久しぶりに笑った顔を見たかもしれない。
そのことに少し嬉しくなりながら、ゆっくりと近づく唇に、
ぎゅっと強く目を閉じた。
が、アントーニョのキスは唇ではなく、額に落とされた。
「…え?」
「無理せんでえぇよ。ゆっくり、な。」
無理なんか、してない。
ただ、恥ずかしかったから。
…なんて、言えるわけもなくて、黙って頷いた。
でもアントーニョのそういうところは、嫌いじゃない。
そんな俺を再び抱きしめて、優しく髪を梳きながら
アントーニョは囁いた。
「好きやで、ロヴィーノ。」
『俺も』好きだとは言えないまま、
ただ、その腕の中で目を閉じた。
「…フランシスんとこに行くとか、もう言わんでや?」
「……言わねぇよ………だって俺は、お前の“家族”なんだろ?」
安心したら一気に眠気が襲ってきた。
うとうととしていたロヴィーノは気付かなかった。
その言葉に、アントーニョが酷く傷ついたことに…――――。
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