人気のない裏通りの狭い路地にあるマンホールが、ガコッと音を立てた。
ギルベルトは、そっと辺りを窺い、誰もいないことを確認すると、
マンホールから顔を出し、慣れた仕草でその中から出た。
「ふぅ…おい、大丈夫かー?」
中の空洞に向かって手を差し出すと、一人の青年が不機嫌そうな顔をして、その手を掴んだ。
「――――――――何が大丈夫か、だ!!全然大丈夫じゃねーよ!
臭ぇし、暗いし、怖ぇし、転ぶし、最悪だぞちくしょーがっ!」
ギルベルトに手を貸してもらいながら地に足をつけた青年…ロヴィーノは、キッとギルベルトを睨みつけた。
まったく…いつもどこからあの屋敷に出入りしてんのかと思ったら…。
下水道かよ!盗賊じゃあるめーし、もっとまともな道はないのかよ…!
「お前が『誰にも見つからないように』って言ったんだろーが」
言われてぐっと押し黙った。た、確かにこんなところからだったら、
あのお貴族様は出入り出来るとは思わないだろうし、
絶対入りたがらないだろうから、警備の人間なんていない…だろうけど。
それにしたって…これはない。
「さて、こっから先は…目立たないように静かについて来いよ?
どこにローデリヒの部下がいるか、分かんねーからな!」
何が面白いのか、活き活きとした表情でギルベルトが言った。楽しんでやがるな、コイツ…。
「は?ここはもう屋敷じゃねーんだろ?なんで警戒する必要あんだよ」
ここは屋敷の外、しかももう城下町だ。
いくらなんでもこんなとこまで、監視なんてしてねーだろ。
訝しげにギルベルトを見ると、あからさまに呆れた顔をしやがった。
(っんだよ、その目は…!)
「バーカ。確かに屋敷の外だが…ここらへんはまだローデリヒの領地なんだよ。
だから、まだ安心はするなよ。…まぁでも、お前は外に顔も…っていうか
存在さえ知られてねーはずだから、大丈夫だろうとは思うけどな」
あぁ、そうか。ここら一帯治めてんのは、あいつなのか…。
どこからどこまでが"領地"なのかは知らないが、確かローデリヒは貴族の中でも一目置かれている
と、聞いたことがある。ということはそれなりに広いだろうことは想像出来た。
(それなら、仕方ねーな)
誰にも気付かれずに出るのが、こんなに大変だとは思わなかった…。
もっといつぞやかに読んだ小説のように簡単だと思っていた自分が甘かった。
やっぱり自分は世間知らずなのだということは嫌でも自覚してしまった。
(…ん?あれ、じゃあ…)
「…じゃあ、アントーニョも領地あんのか?」
「そりゃあるだろ。アイツも一応は貴族様だからな。…でも、アイツの場合はちょっとなぁ…」
「ちょっと、なんだよ?」
引っかかる言い方。しかも、複雑そうな苦い顔。…なんだ?
「お前、知らないのか?」
「?…だから、何をだよ」
「あ〜…だったら俺の口から言うべきじゃねーだろ。聞かなかったことにしろ。大体、お前にゃもう関係ないだろーし」
『関係ない』言われて胸が痛んだ。…確かに、そうだけど…でも、俺の知らない、アントーニョのこと。
気になるだろ。気にならないわけがないだろう…だって、アイツ俺には自分のこと殆ど何も話さないし。
何も知らなくていいんだ。って。
『傍にいて』
『ずっと一緒に居て』
『大好き』
それから、たくさん…『愛してる』。
アントーニョの言葉を思い出す。愛情だけならたくさん抱えきれないくらいたくさんもらったことはちゃんと分かっている。
でも。それでも俺はアントーニョについて全部知っているかと言われれば、答えは否だ。
あれだけ一緒にいたくせにと思われるかもしれないが、知らないことの方が多いんだ。
「…――俺が知らないのに、お前が知ってるなんてそんなのは、癪だ。教えろよ、ちくしょーが!」
「癪ってお前…本当可愛くねー!言わねぇって言ってんだろーが!」
「うるっせぇ!俺よりもお前のがアントーニョのこと分かってるなんて、そんなの嫌に決まってんだろーが!」
息荒くそんなことを言って、しまった、と思った。
自分がどんなにアントーニョが好きか、嫌でも解る台詞。
…揶揄われる。と、思ったが…ギルベルトは呆れた顔をしていた。
「(うわぁ…すげぇデレやがった…)お前、そういうのは本人に言えよ」
ほら、早く行くぞ。やれやれ肩を竦め、さっさと歩き出したギルベルトの服の裾をがしっと掴んだ。
揶揄されるよりも恥ずかしい思いをして真っ赤になりながらもそれでもこのまま引き下がるのは癪だった。
「ううううううるせー!は、早く教えろこのやろー!!」
ぐいぐい力任せに引っ張ると、一応歩みを止めてくれた。
「やめろ、引っ張るんじゃねー!」
「じゃあ早く教えろ、畜生が」
「あー、もう。何なんだよ、お前は!」
「アントーニョのこと、教えろって言ってんだよ!」
じっとギルベルトを睨むように見る。
言うまで絶対引かないぞ、このやろー。
そんな俺を見遣り、ギルベルトは困った顔をして頭をかいた。
「つってもなー…アイツが言わないことをお前に言うのは…なぁ。
それに、別に聞いてて楽しい話ってわけでもねーし。
ていうか、寧ろ今は聞かない方がいいと思うぜ」
「いい。それでいい」
もう関係ないっていうのも、これからはもうアイツの名前も
口にしちゃいけないのも、分かってる。
でも、それでも…アントーニョのことは、全部俺が知っておきたいんだ。
きゅっと唇を噛む俺を困惑しながら見ていたギルベルトは、やがて重いため息をついた。
辺りを窺い、人の気配がないのを確認すると、
一呼吸置いて、近くに来てやっと聞き取れるかぐらいの小さな声で話し始めた。
「…アイツの両親がいないのは、知ってるよな」
「…あぁ」
何度かあいつの実家に行って墓参りも何度かしている。
そういえば、最近は行ってないな。アントーニョが何か忙しそうにしているから…。
「アイツの家は王族と近しい家で、ローデリヒんとこも、それと同じだ。
だから、昔は政治もカリエドとエーデルシュタインが動かしてるようなもんだった。
それまでは、それで結構上手くいってた。
けど、それに不満を持っていた貴族連中も中にはいたって話。…本当に、聞きたいか?」
こくんと頷くと、ギルベルトはまた深くため息をついた。
それでも話をするべく、口を開いた。
「…俺らが幼年学校にいた頃だ。お前は多分…まだ生まれてない頃。
カリエドの治める地方で内戦…いや、テロが起こった。
表向きの理由は、当時その地方は不作だったのに、重税を強いられたその腹いせってことらしいけどな。
一般人の死傷者はそんなに多くは出なかった…が、カリエド家の者は暴徒を抑えようとして
…そいつらによって……全員が殺された。そして、家には火を放たれた。
そんで、カリエドの実家周辺は、ほぼ焼け野原。
生き残ったのは、そん時王都にある学校にいたアントーニョだけだった」
俺が息を呑んだのを見て、ギルベルトは苦く笑った。
知らなかった。だって、アントーニョは大きな火事があった、ということしか教えてくれなかったから。
『むちゃくちゃやった。生きとってもしんどいし、死んだら楽になれるんちゃうかと思ったときもあった。』
そう言ったアントーニョの顔を思い出した。
「そん時の暴徒は、首謀者と思われるものも含めて全員捕まった。
けどな…不可解なことがあった。突発的に起こしたにしては手が込んでいる上に、計画的だった。
カリエドは元々騎士の家系だし、お抱えの兵士の数も、強さも半端なかったはずだ」
なのに、30もいない暴徒により、ほぼ全滅したこと。
それから…短時間でカリエドの家の宝物庫から、金品が全部消えたこと。
暴徒となったもの全員を調べたがそいつらは何にも持っていなかったし、
そのことも知らないということだ。
…何かあると踏んだエーデルシュタインは、その事件を徹底的に洗い出した。
恐らく、影で糸を引いてた、暴徒を仕掛けた連中が
ほぼ実権握ってた有力貴族に、不満を持っていた下級貴族にいたのは
間違いない…が、証拠は出てこなかった。
だから、世間には暴徒がカリエド家を襲ったテロ事件ってことになってる。
「…そんで、その話を、事件のあった十日後に知ったアントーニョは…
実家に帰ってみて、愕然としてた。あの事件で家族も、帰る家も失くしたんだ」
金は銀行に預けてあったらしいから、無一文にはならなかったが、
まだ幼いアイツに家の建て直しや、領地を治めることは難しい。
だけどアイツの…カリエドに縁のある者は誰もアイツを引き取りたがらなかった。
多分、暴徒を仕掛けた、誰とも分からねー貴族連中を恐れたからだろう。
…だから結局アイツを引き取ったのは、母方の親戚であるエーデルシュタインってわけだ。
「……まぁそれで、まだアントーニョが子供だったから、
領地はエーデルシュタインが代理で治めることにしたんだが、
カリエドの領地は結構広いし、全部代理で治めるのは
難しいから、仕方なくその地方に住む有力者に代理を頼んだ訳だ。
…アントーニョに代理が必要なくなったら、なったで、
また結構揉めたらしいけどな。
でも、今はアイツがちゃんと治めてるはずだけど、」
だけど、その事件が切欠でアントーニョは荒れに荒れた。
…気持ちも分かるだけに、誰もアントーニョに強く言えねぇし、
言ったところでアイツが聞く耳持つか分からねーどころか、
何をするか、されるか分からねぇ。
触らぬ神に、祟りなし。皆…遠巻きに見てるしか出来なかった。
学校卒業してからは、エーデルシュタインも持て余してアントーニョを別邸に隔離した。
別の領地に移すよりも、監視がしやすいから、だろうけどな。
「……ほら、ひでぇ話だろ。聞いてて良い話でもないだろーが」
そういうと、ギルベルトは俺の頭をぐしゃっと撫ぜた。
「そんな顔すんな。だから、聞かない方がいいっつったのによ」
「っ…監視…って、なんで…」
「言っただろ。昔のアイツはすげー荒れてたって。
だけど、問題起こされたら困るからだろ。…そんだけ危険人物だったんだよ。
まー、お前にゃ想像出来ねーだろうけど」
確かに…想像出来ないけど。
俺の知ってるアントーニョは、鈍感でKYだけど、いつも笑顔で優しくて、あったかい…太陽、みたいなそんなヤツ…で。
だけど、…そんなことがあったなんて、…知らなかった。
悩みもクソもなさそうだったのに。
周りにメイドたちはいただろうけど、あんな屋敷に一人で…――――――――。
アントーニョは毎日何を考えていたんだろう。
『ロヴィーノ』
俺の名前を呼んで、嬉しそうに手を差し出すアントーニョが脳裏に浮かんだ。
綺麗な緑の瞳が優しげに細められ、微笑まれる。
本当に、大切な、愛しいものを見る瞳で…いつも。
『どこにも行かんでや。…なぁ、ロヴィーノ』
…―――――あぁ、そうか。
唐突に理解した。俺のことを『家族』と言って可愛がって大事にしていたのは。
俺が家から出ることを極端に嫌い、『俺が何があっても守るから』とそう言って聞かせていたのは。
『傍にいて』『ずっと一緒に居て』と、言ったのは。
アイツは怖いんだ。また、自分の知らないところで大事な人がいなくなるのが。
寂しいんだ。誰もが自分を遠ざけてるから。独りだったから。欲しかったんだ。
『家族』みたいな存在が…。
だから、俺みたいなのを傍において可愛がることでその傷を癒していたんだ。
誰もが見て見ぬ振りをする、アントーニョの抱えたその傷を…。
「…もういいだろ。いくぞ」
「………」
「…それとも、やっぱやめるか?」
きゅっと唇を噛んだ。この後に及んでまだ迷う、自分に呆れた。
だって、本当にこれでいいのか?何も言わないで、出て来てしまって。
(傷つくんじゃないか…?アイツ…)
そんなの、元より承知の上のはずだった。だった…けど…。
俺が思っていた以上に、深く傷つけることになるんじゃないのか…?
そう思ったら、足が動かなかった。
「おい、ロヴィーノ?」
「ギルベルト…俺、……っ俺、やっぱり…――――――――」
「―――にいちゃ〜〜〜〜〜〜〜〜んっ!」
突然、がばっと後ろから飛びつかれて、思わず前に倒れそうになったのを
ギルベルトが慌てて支えてくれた。
「なっ…!?」
「兄ちゃん兄ちゃん兄ちゃんにいちゃ〜んっ久しぶり〜〜〜っ!」
振り返ると、飛びついてきた青年は、明るい声で嬉しさを隠しもせず笑っていた。
特徴のある癖毛がくるりと巻いている。
「俺すっごく会いたかったんだよー!!あ、俺のこと解る?俺、フェリシアーノだよ〜っ!」
言いながら強く抱きしめられて、酷く息苦しい。
言いかけた言葉を、飲み込まざるを得なかった。
「フェリ、シアーノ…。」
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