あれから大学試験も終わり、無事に合格したアントーニョは春から晴れて大学生となる。
それは同時に、俺とアントーニョの遠距離恋愛の始まりでもあった。
不安じゃないと言えば、嘘になる。
本音を言ってしまえば、物凄く不安だ。
けれど、電車で三時間なら、そんなに遠くではない。
会いたいと思えば自分から会いに行けばいい。
それに電話もメールも毎日しようって言ってくれたし。
大丈夫…・・・って、思いたい。
「ロヴィー、それ美味しい?」
「ん…。まぁまぁ、だな。」
アントーニョが入学式で着るスーツやら普段着やらの買い物
(コイツは素材はそれなりなのに、センスが悪いし、何より自分のことには本当に無頓着すぎる)
に付き合わせたお詫びに、とカフェでエスプレッソとティラミスを奢ってもらった。
コーヒーもケーキも美味い、と評判の店で、確かにそれなりに美味かった。
「ほんま?ほな良かった。」
「でも、」
「ん?」
…言おうか言うまいか、迷ったがフェリシアーノにはなれないが、
せめて少しくらい素直に…と思い、口にすることにした。視線だけは逸らして。
「お前の、作ったチュロスも俺、 好き だぞ…。」
言った!
言えた!
これだけでも、頬が熱くなるけど、凄い進歩じゃないだろうか。
ちらっと横目でアントーニョを見ると、熱い手のひらが額に触れた。
「ロヴィーノ…やっぱ熱でもあるんか?大丈夫か?」
「……――――――――お前なんか嫌いだー!」
…頑張ってみても、これである。畜生!
自分が今までどれだけ素直じゃなかったか、思い知らされる。
自業自得だと言えば、そうだが…それにしたって酷い。
こういうことを、あれから繰り返しているわけだがいつもアントーニョの切り返しはこうだ。
少しはフェリシアーノに言うみたいいに『かわえぇ〜』とか言ってくれてもいいじゃないか。
…フェリシアーノ…みたいに…か。
これで、本当にいいのだろうか。
俺は、どうしたらお前に喜んでもらえるのか、わかんねぇよ…。
恋人になったからって、安心しきってたツケなのか。
今更、こんなふうに悩むことになるとは思わなかった。
焦っていろいろ頑張ってみたけど、そろそろ疲れてきたな…。
思わず溜息をついてしまう。
“付き合う”のって、こんな大変なことだっただろうか…――――――――?
「ロヴィー?疲れたん?ごめんな、俺が連れ回したせいやな。」
「ちが…っ別に…疲れてねぇ。」
「今日はもう帰って、ゆっくりしよ?…ていうか、俺の部屋でいちゃいちゃしよ?」
いちゃいちゃ…。
首傾げて可愛い子ぶっても、言ってることは可愛げはない。
けれど、断る理由もない。元々そのつもりでいたから。
「夕飯はお前が作れよ。…パエリアな。」
「まかしとき!めっちゃ美味いの作ったる!」
そうと決まれば、とばかりに俺の手を取って、駅へと歩き出す。
軽く引っ張られながら、その後について行く。
その横顔は嬉しそうで、足取りは軽やかだ。
単純だよな、コイツ…。と呆れはしたが、こういうところは嫌いではない。
「アントーニョ。」
「ん〜?なん――――――――?」
「あれ?兄ちゃんとアントーニョ兄ちゃんだ〜!」
くんと腕を引いて立ち止まらせて、珍しく頬にキスでもしてやろうかと思った矢先に、
フェリシアーノが後ろから声をかけてきた。
…――――――――タイミング悪ぃんだよ、この馬鹿弟!
「フェリちゃんや〜ん。どないしたん?買い物?」
「うん、ちょっと画材を買いにね。兄ちゃんたちはデートだよね?」
見りゃわかんだろーがよ。
つーか、デートだと思ったんなら声かけんなよ。
……とは思ったが、仕方ない。
アントーニョと同じく、この弟も同じく空気が読めない男なのだから。
ほんと、俺の周りってこんなヤツばっかりだな…。
「せやねん。これから帰るとこやけど、フェリちゃんも?」
「そうだよ〜。」
(…あ、嫌な予感)
「ほな帰る方向、どうせ一緒やし…一緒に帰らへん?」
「でも、兄ちゃんたちデート中なんでしょ?」
「構へんよ。フェリちゃん一人で帰すの危ないやん。なぁ、ロヴィー?えぇよな?」
…――――――。
確かに、弟は一人にしておくの、危ないっていうのには同意だ。
でも…『構わへん』『えぇよな?』ってお前が言うなよ、あほちくしょうが!
…こういう時のアントーニョは嫌いだ。
どこまでもフェリシアーノを優先しようとするから。
嫌な感じだ。何でいつもそうなんだ。なんで。だって、俺…は。
――――――――お前の恋人は、俺…だろ?
ぐっと文句を言いたいのを耐えて黙って頷くと、三人で駅への道を歩き出した。
繋いでいたはずの手は、いつの間にか離されていた。
黙り込んだままの俺を置いて、二人は他愛のない話を和やかにしている。
さっきまで、俺にだけ向けられていたアントーニョの笑顔は、今はフェリシアーノに向けられている。
アントーニョがフェリシアーノに笑いかけるたびに、ズキズキと胸が痛んで苦しい。
なんで、気付かないんだよ。
なんで、俺を見てくれないんだよ。
なんで、なんで、なんで…フェリシアーノばっかり…ずるいんだよ!
頭の中が『なんで』と嫉妬で埋め尽くされる。
泣きそうになるほど目頭が熱くて喉の奥で何かが詰まったような感じがして苦しい。
黒い感情に飲み込まれて溺れて抜け出せなくなる。
いつもだったら、そろそろ気付いてくれる。
いつも、だったら…?
はた、と気付く。
そういえば、いつもこういう状況になった時、どうしてた?
そろそろ俺が癇癪を起こして、それを二人が慌てて慰めて…――――――。
――――――――…俺が、何も言わなければ・・・?
何も、言わなければ…
そうしたら二人はそのまま俺なんかに気がつかないんじゃないか?
いや、いくらなんでもそんなはずはない。
大体、恋人の存在忘れて弟と一緒に…なんて。
流石に、ないだろ…うん。
頭を緩く振ってふと沸いてきた疑問を打ち消した。
駅のホームで電車がくるのを待ちながら、けれど、と思う。
気付かないかもしれない。
今、俺がいなくなっても。
電車がホームに滑り込んでくる。
二人の注意が電車に逸れているうちに、そっと二人の傍を離れて柱の影に隠れた。
(いくらなんでも、そのまま気がつかない、なんてことはないはずだ!)
絶対大丈夫!気がついてくれるはず。
そう思いながら、電車が再び発車するのを待った。
『発車します』と無機質な声で電車のドアが閉まり、電車は何事もなく動き出した。
柱の影からそっとホームの様子を窺うと、電車から降りて改札に向かう人が通り過ぎ、
次の電車を待つ人だけで人気が疎らになったホームには、
アントーニョとフェリシアーノの姿は、なかった…。
(嘘、だろ・・・?)
暫く呆然と立ち尽くしていた。
だって、まさか…本当に気付かないとは思わなかった。
血の気が引いて、寒気すら感じ始めた頃、ジーンズのポケットに入れていた携帯が震えた。
二つ折りの携帯を開くと、アントーニョからは電話がかかっていて、
フェリシアーノからメールが何件も入っていた。
鳴り続ける電話に通話ボタンを押そうか、と思ったがやめた。
携帯の電源を切ると、ポケットに仕舞いこんで、近くのベンチに腰掛けると、笑いがこみ上げてきた。
歪んだ笑みを浮かべたまま、見上げた駅の天井は薄暗く淀んでいた。
何だか、もう…全てがどうでもいい気がした。
多分今頃二人は連絡のつかない俺に、血相変えているんだろうと思う。
心配させてしまっているのは分かっているのに、『今更なんだよ』としか思えない。
まるで心まで凍てついたかのように、何も感じない。
次の電車が着ても、その次が着ても乗る気になれずに、ホームの端で何度も見送った。
そして、唐突に理解する。
アントーニョがどんなに俺を好きだと言っても、
弟がいると優先するのはいつも弟なのは…
つまり、アントーニョは俺をフェリシアーノの代わりにしているんだろう。
(アントーニョは、それを分かっててやっているのではないだろうが)
だから、本物がいれば、偽者に用はない。
そう思えば、納得出来る。
代わりでもいいと思った。
代わりになろうと思ったんだ。
それでもいいんだ、と。
それでもいいから、傍にいてほしい、と。
好きだったから、一緒にいれればそれでよかったんだ…――――――。
けれど…――――――――もう、限界だった。
辺りがすっかり暗くなった頃に、電車に乗って最寄り駅に着くと
改札の近くに、アントーニョとフェリシアーノ。それに、フランシスやギルベルトまでいた。
フェリシアーノが俺に気付くと、ぶわっと涙を溢れさせて抱きついてきた。
「ヴェェェェエエエ!にいちゃあああああんっ!」
「ロヴィーノォォォオオ!うわああっ本物やー!よ、良かったぁ…
連絡つかへんから皆で心配してたんやで?けど無事で良かったわぁ…。」
へぇ、そうなん。
大げさすぎる弟とアントーニョの反応に、いつもなら
『うるせぇ大体お前らが…!』と言い返すところだが、生憎そんな気力もなかった。
黙ってフェリシアーノの拘束を解いていると、フランシスと目が合った。
何か言いたそうな顔だったが、視線を逸らして歩き出す。
「別に、心配してくれなんて頼んでねーし。俺、帰る。」
「あぁ、待ってやロヴィー、俺らも…。」
「っおい、そんな言い方ねーだろ!…んとに、可愛くねーな!」
そーかよ。
てめーに可愛いとか思われたくねーから別にいいけど。
なんか、もうどうでもいいから、俺は早く帰って、風呂入って寝てーぞ、ちくしょうめ。
(はやく、この場を去りたかった)
足早に一人で駅から出て、家路を急いだ。
(じゃないと、フェリシアーノに八つ当たりして、酷い言葉を投げかけそうで怖かった…)
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