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(よしっ!終わったぞこのやろー!)

定時を少し過ぎた頃、漸くほんの少しだけ慣れてきた仕事を片付けて
帰宅の準備を始めた。

アイツの席をちらっと盗み見る。
一時間ほど前の会議から、まだ帰ってきていない。
それを確認してから周りの残っている人たちに挨拶をして、
さっさと退社してしまうことにした。


最近のアイツは、おかしい。
絶対、変だ。

入社したばっかりの頃は、ガミガミ怒ってばっかりで、すげー怖かったのに。
最近はやたらと俺を食事や遊びに誘ってくるのだ。
仕事に使うから、と携帯の電話番号とメアド交換させられてからは
帰宅すればメールがくるし、休みの日には電話がかかってくる始末だ。

なんなんだ。
訳分かんねーぞ、ちくしょうめが。
新しい嫌がらせなのか?!
ちくしょー!俺で遊ぶんじゃねーぞハゲ!!

歩きながらそっと携帯を開いて、アイツのアドレスを開く。



(なぁ、なんでだよ…)



なんで電話番号はともかく、メアドまで昔と全然変わってねーんだよ。




あぁ、嫌だ。





何が嫌って、忘れたくても忘れられなかった、完全に消えてはくれなかった
アイツのアドレスを、今でも空で覚えてる俺が一番嫌だ。
あの時消したアドレスが、また俺の携帯に入っているなんて。
まるで、失くしたものが帰ってきたかのようだ。



もう二度と会わない。



そう決めたのに、どうしてまた出逢ってしまったのか。
いい加減忘れたいのに、忘れられねぇし、
離れたくても離れられない、また元通りに戻ってしまうのか?
だったら今まで散々悩んだり苦しんだことは、一体何だったんだ?
それが嫌で別れたのに、また俺は同じことを延々悩み続ける羽目になるのか?
何と言う無限ループ。
最早呪いレベルだ。
クソッ…全部アイツのせいだ!!
ちくしょーっちくしょーっちくしょー!!!

心中で悪態を吐きながら会社から出たところで、俺は固まった。
前方に見覚えのありすぎる人物が、自分に向かって微笑んだ。


「ロヴィーノお疲れさーん!…でも俺に挨拶なしやなんて酷ない??」
「ヴォアアアアアアッ!?なんでお前がここにいるんだこのやろー!!」

思わず逃げ腰になるが、いや待てよ。
今までの経験からして、コイツは俺が一人で焦ったり慌てたりしてんのを
愉しんでいるという悪癖がある。
これ以上コイツに関わるのはゴメンだ。
ここは慌てず、騒がず、冷静に対処。大人な俺作戦だ!
見てろこのやろー!!いつまでもお前如きにビビってる俺じゃねーんだぞ!

「なぁなぁ、これから帰るんやったら親分と一緒に飲みに行こうやー。奢ったるし。」
「はぁ?ぶざけんな!野朗と二人きりで酒を飲む趣味はねー……ゴホン。
―――お疲れサマです、課長。ですが、先を急ぎますのでこれで失礼致しマス。」

にこりと笑みを返し、どうだこのやろー!
と、ちらりとアントーニョを見ると、ぶはっ!と笑っているヤツがいた。

「ちょっロヴィー…ど、どないしたん?悪いもんでも食うた??」
「イイエ、俺いつもどおりです。じゃあそういうことで。」

バッファンクーロ!!…いつか覚えてろよこんちくしょうめ。

「えー…帰ってまうのん?」
「エェ、カエリマスヨ。」

だからついてくんな!と駅に向かって歩く俺に、
何故かついてくるアントーニョを横目で睨めば、『ふーん』と
訝しげな顔をした。
なんだ。
なんなんだ。

「…帰れるん?」
「子供じゃないんで一人で帰れます!!」
「いや、そうやなくて。」

何だよ、何が言いたいんだ?!
んー…っと勿体つけるように、なかなか口を開かないアントーニョに焦れて
ピタリと歩を止めてしまう。
相手にするなよ、俺!!と思いつつ、やっぱり気になってしまう。
それがコイツの手だと分かっていたのに。

あーあーちくしょー!!


「んだよ、お前さっきから一体何のつもりだよ!」
「やー、だから帰れるんかなーって思って。」
「だから、何だよ!お前は俺が一人で家にも帰れないような子供に見えるのかよ!
ふざけんな!!からかうのもいい加減にしやがれ!!」
「いやいや、そうやなくて。これ、無くても大丈夫なんかなーって。」

アントーニョがすっと懐から取り出したパスケースには、見覚えがあった。
緑、白、赤のトリコロールカラーのパスケースは、俺の定期入れとそっくり…だった。
まさか、と慌ててポケットや鞄を探るが………ない。

「てめ…っスリやがったのかっ!?嫌がらせにしたってそれは…」
「あーちゃうちゃう!落ちてたの拾っただけやし、誤解やで。」

な、んだよ…。ちくしょ…だよな。そうだよな、いくらなんでもな…。

「う、疑って悪かった…な。その…あり、ありがと…。」

差し出されたパスケースに手を伸ばす…が、それは俺の手に収まることはなかった。
アントーニョが、ひょいとパスケースを俺の手から遠ざけた。
何しやがる、返せ!と言おうと思ったが、それは声にならなかった。
アントーニョが、口の端を上げて笑っていた。
嫌な予感に、血の気が引いた。



「折角拾ってあげたのに、スったって疑うとか酷い話やんなぁ?
――――――――返して欲しかったら、ついてきぃや。」



ぞっとするほどの低い声に、泣きたくなった。
俺、やっぱ嫌われてんだな…。
ちくしょう。分かってんだよ。
一方的に別れようって言ったの、俺だし。
お前も言い分あったんだろうし、聞かなかった俺が悪いとは思ってる…けど。
あれだけ優しくしてもらったのに、酷かったかな、とは…思うけどよ…。

やっぱ、フェリシアーノがいたから…なんだな。
俺に優しくすんのも、好きとか言ってたのも。
可愛いって言ったのも、全部。



(本気で好きだったのは、俺だけか…)





やっぱり、会いたくなんてなかった。






(“フェリシアーノの代わりじゃない俺”は、愛してもらえないんだな。)






そんな俺に構わず歩き出したアントーニョに、数歩遅れてついていく。







本当は、別にパスケース自体はどうでもいい。
定期だって、買い直せばいいだけ。
金はかかるけど、まぁ仕方ない。
けど、あのパスケースには……大事なものが入っている。
アントーニョにだけは、見られたくないもの。
だから、それが見つかる前に何としてでも取り返さねーと…!!!

あぁ、ちくしょー。
なんで俺あんな大事なモン落としたりしたんだばかやろー!!







*






どうしてこうなった。

「ほな乾杯しよか。」

にこにこと上機嫌なアントーニョがワインの入ったグラスを持ち上げた。
アントーニョについて行った先は、とあるリストランテだった。
しかも、案内された席は赤いカーテンで仕切られた半個室になってて、
さらに言うと所謂カップル席で、白いソファに横並びで座らされている。
…本当にどうしてこうなった。
つーか、普通に考えておかしくないか?
なんでただの上司と部下…な関係の俺たちがカップル席!?
ないだろ…。普通に考えてサムい。

「ほら〜、ロヴィー。グラス持って?」
「ふざけんな!!俺はてめーとメシを食いに来たわけじゃねーっての!
さっさと俺の定期返しやがれ!!」
「んー?…返して欲しかったらグラス持って、俺と乾杯しよ?」

…こ、んのやろおおおおおおおおおおっ!!
人の弱みに付け込みやがって…。
いつからそんなに意地の悪い人間になったんだ?!

ふるふると怒りで震える手で、仕方なくグラスを持った。
アントーニョが嬉しそうに笑い、グラスを合わせた。
グラスの当たる小気味良い音が部屋に響いた。

(ちくしょーっ!)

くん、と一度ワインの匂いを嗅ぐと、いい香りがした。
そのまま口つけて飲むと、美味いワインにほんの少しだけ口元を緩めた。
美味いもんは好きだ。
というか、美味くないものは口にしたくない。

「…飲んだぞ、このやろー。早く返せアホちくしょうめ。」
「ご飯食べ終わったらな。ほら、折角やし、食お?」
「お断りだぞこのやろー!もういい加減にしろよな!
俺はてめーと並んでメシ食うなんざ、ごめんなんだよ!!」

テーブルに並んだ料理は確かに美味しそうではあるけれど。
だからと言って、こんなふうにコイツと一緒にいたら、駄目だ。
これ以上近づきたくない。
だから、お前も必要以上に構ってくんじゃねぇよ。
何のためにあんなふうに別れたのか、分からなくなってしまう。





(お前のいちばんは、俺じゃないくせに)






あんな思いをするのは、もう嫌だ。








「へーそうなん!」
「…ってめ……!」
「お前が嫌なんはわかっとるけど…俺はロヴィーとメシ食いたいねん。」

そう言いながらアントーニョはブルスケッタをぱくりと食べた。

やめろよ。そんなこというな。
どうせ、また俺が一喜一憂してんの見て、面白がってるだけ。
そんな手には乗らないんだから。

「ほら、ロヴィーもお腹空いたやろ?食べてえぇんやで?」

確かに、腹は空いてる…けど。
でも、だからってコイツと食事を楽しむ気にはなれない。
はぁ…早く飽きてくれよ。
俺で遊ぶのはいい加減にしろっつーの。

視線をアントーニョから逸らし、出来るだけアントーニョと距離を置くように
ソファの端に寄って、時計を見た。
八時過ぎか…終電までに帰れるだろうか。



「ロヴィー。」



アントーニョが俺の名前を呼ぶ。
そんな甘い声で呼んでも、視線は戻してやんねーぞ。

「ロヴィ。ロヴィー。――――――――ロヴィーノ。」
「…っなんだよ。なんなんだよ、ちくしょ――――――――!」

そんなふうに呼ぶのは反則だろ。
まるであの頃のように優しい声に、簡単に絆される俺も俺だけど!

「……食べな定期返さなんで?」
「…っ卑怯だぞ!」
「ほら…あーん。」

アントーニョの指がカプレーゼのミニトマトを摘まみ、
それを俺に食べさせようとする。
だが、俺は素直に『あーん』なんてされてやらない。
ふいと顔を逸らした。

「……しゃーないなぁ。」

ふっと笑う気配が、した。
と思ったらいきなり顎を掴まれて、無理矢理顔をアントーニョに
向けさせられると、唇を塞がれた。

「…っ!?ぅんっ!」

かっと頭に血が上って文句を言おうと開いた口の中に、丸い何かが押し込まれ、
思わず咀嚼してしまうと、口の中に大好きなあの味が広がった。
甘さと酸味が程よいトマトに、ごくりと飲み込むと、
アントーニョは唇を離して笑った。

「食べさせて欲しいんやったら、そういいや〜。」
「っな、バカ!ちげーよ!何でそうなんだよ!!」
「照れんでもえぇやん。ほら、今度はモッツァレラ食べる?」
「…っっく、食えばいいんだろっ食えば!ちくしょー!!」

結局、こうなるのか。
突っぱねても直ぐに折れてしまうなんて。
こうやってコイツの思い通りになってしまうなんて。悔しい。
トマトに罪はない。
が、トマトが美味しすぎるのが悪い。
フォークでトマトのパスタを食べながら、ちらっとアントーニョを見遣る。

くそ…簡単にキスなんかしやがって。
人の気も知らないで。

俺の視線に気付いたアントーニョは、へにゃっと笑った。

「美味い?」
「……お前と一緒じゃなきゃな。」
「つれんなー。俺はロヴィーと一緒で嬉しいし、楽しいで。」
「ハッ!思ってもねーこと口にすんな、ハゲ。
どうせお前は俺をからかって遊んでるだけだろーが。くそったれ。」

きょとんとしたアントーニョが口を開く前に、言った。

「嫌がらせばっかりしやがって…そんなに気に入らねーなら
構うんじゃねーよ!そうやって昔のノリで近づけば
また俺がコロッと騙されるとでも思ったのかよ。」
「ロヴィー、ちょお待って。俺は、」
「悪かったな、単純で!でももう騙されてやんねー…」

紡ごうとした言葉は、口元を覆ったアントーニョの手に遮られた。

「待ってって!言うてるやろ!!」

きゅっと眉を寄せて、アントーニョが声を上げる。
俺が押し黙ると、そっと手を外される。
アントーニョが少しバツが悪そうに目を伏せた。

「…ごめん。でもロヴィーが気に入らんから、とか。嫌がらせとか。
そういうつもりやなかってん。」
「また嘘かよ。」
「嘘やないよ。俺はほんまにロヴィーと再会出来たん、嬉しかったんよ。
でも、ロヴィーが冷たいんやもん。俺のこと嫌いなんは分かっとるけど、
あからさまに嫌そうな態度取られたらこっちも、ほら。
腹が立つっていうか…それで、つい。ごめんな。」
「な、俺のせいかよ!?つーか、嫌いなのはお前のほうだろ!」

やめろよ。
またそうやって期待持たせるようなこと言うな。

「俺がロヴィーのこと嫌いになれるわけないやん。」
「そんなの、」
「こうやっって、また話せるの、嬉しいで。嘘やない。」

いつに無く真剣な顔でそう言われて、俯いた。



嫌いって言ってくれよ。



嘘だって言ってくれよ。



そうじゃないと、また俺はアントーニョの優しさに甘えて溺れきって。
でも、“いちばん好き”がもらえないことに勝手に傷ついて
勝手に悩んで、勝手に苦しんで泣くんだ。



あんなの、もう嫌だ。








一度零れた涙は、もう止まらなかった。

「え、ちょっロヴィ?な、泣かんといて…。」
「うえぇぇぇっ…」
「ロヴィー…。」

アントーニョの指が優しく涙を拭う。
優しくしないで欲しいのに。
やっぱりその仕草が優しくて、好きだと思ってしまった。
困ったような表情も、声も、俺の心を捕らえて離してくれない。


「元通り、とは言わんけど…また仲良ぅしたって…?なぁ、ロヴィー。」




ずるい。





本当に、お前はずるい男だ。











*











駅まで歩く道すがら、パスケースを返された。

「今日だけ切符で帰れば良かったんに、よっぽど大事なもんでも入ってたん?」
「そんなんじゃねーよ。」
「…好きなヤツの写真とか?」
「ちっちげーよっちくしょー!!」

思わず強く言い返すと、図星だったのがバレバレだったのか
『そうなんや』とによによ笑われた。ち、ちくしょー!!

「…こんなことなら、中身見ておけばよかったなぁ。」
「したらコロス!」
「んー、もったいないことしたわぁ。」

聞いてねーし、このやろう…。
でも、これはコイツにだけは本当に見せるわけにはいかない。
何しろ、入ってるのはアントーニョの写真だからだ。




改札を抜けてホームで電車を待つ間も、二人で他愛ない話をした。
普段は車で通勤しているアントーニョだったが、今日は酒を飲んだこともあり、
同じく電車で帰るらしい。
…偶然同じ路線で、俺の最寄り駅より二つ手前がアントーニョの降りる駅らしい。

終電も近いこともあり、電車には殆ど人が乗っていないから
まるでそれまでのことが嘘のように、たくさん話した。
誰かと話をして、こんなに楽しいという気持ちになったのは久しぶりだった。


結局また、俺はこりもせずにアントーニョと繋がりを持った。
『幼馴染』で『上司と部下』として。
それ以上にも以下にもならない存在として。


「ほな、また明日なー。」
「さっさと帰れ。」

アントーニョの降りる駅に着くと、アントーニョは電車を降りるために
立ち上がって、降りて行こうとして戻ってくる。

え、何戻ってきてんだ?

疑問に思いながら見ていると、アントーニョの手が俺の頬に添えられた。

「っオイ…なに、ん!」
「忘れ物…。」

触れるだけのキスをすると、アントーニョは素早く電車を降りていった。
電車が動き出して、やっと何をされたのか理解した。



キス、だ。





今度こそ、本当に。










「あ、あんにゃろおおおおっ!」




何考えてんだ、本当に。
わけわからん。と頭を抱えた俺を乗せたまま、電車は走っていった。










【続く】

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2010/12/30 up