ぐうぅ、と盛大に腹の音が鳴った。
鳴った本人ですら驚いて互いに目を合わせたまま目を瞬かせた。
「ふふっ、腹減ったん?よっしゃ美味い店連れてったる」
「ちっちが…っ」
そうじゃなくて、と顔を赤くして言い訳を口にしようとするが
アントーニョは笑って俺の手を取って歩き出した。
手を引かれるまま歩きながら、なんてタイミングで鳴るかな、と
食欲旺盛な自身の腹を恨みがましく思った。
アントーニョの手に引かれ、街の中を歩きながら
そっと見上げた空は日が暮れオレンジ色から宵の空へと変わっていた。
人通りの多い大通りを外れ路地に入ったところで
一軒のバルの前でアントーニョは足を止めた。
「ここにしよか」
「うん…?」
外に出されたメニューを見るにバルらしいことしか分からないが、
アントーニョは良く来ているのか、慣れた様子で
ロヴィーノの腰を抱いて店の扉を開けた。
中ではもう既に何組かの客が杯を交わし、料理に舌鼓を打っていた。
若い店員がアントーニョを見て笑顔で対応する。
「こんちは、今日は随分かわえぇ子連れてますね」
「おん、えぇやろ?」
空いている席に案内されて店員が椅子を引いてくれるとそこに座った。
向かいの席についたアントーニョはメニューを見せてくれた
「嫌いなもんなかったら適当に頼むけど」
「じゃあまかせる」
アントーニョは先程の店員に声をかけて料理の名前をスラスラと口にした。
店員はそれを確認してから厨房に入っていった。
そしてすぐにグラスと果実酒の入ったデキャンタがテーブルに置かれた。
アントーニョは二つのグラスにそれを注ぐとひとつをロヴィーノに差し出した。
「サングリア、呑むやろ?」
にこやかなアントーニョに頷いてグラスを受け取るとアントーニョも
同じようにグラスを取り、ロヴィーノのグラスにカチンと合わせた。
「乾杯」
「…何にだよ」
「ん?んー…二人の再会を祝して、とか?」
「ふはっ気障!」
くすくすと笑いながらグラスを傾ける。
ワインと甘い果実の香りがした。
ジュースのように飲みやすい酒は食前酒に丁度良かった。
その後アントーニョが頼んだ料理が次々と運ばれてきた。
「おい、こんなに食いきれるのかよ」
「大丈夫やって、ロヴィーは遠慮なく食べや」
言われなくとも遠慮なく切り分けてくれたトルティージャを頬張った。
マッシュルームのタパスや生ハム、串焼きやパエリアと
並んだ料理を次から次へと消化していくロヴィーノを見て
アントーニョはグラスの影で小さく笑った。
美味しそうに食べるから、こちらもついつい箸が伸びてしまう。
「美味しい?」
「ん、なかなか美味いぞ」
無邪気な笑顔に、アントーニョは頬を緩ませた。
*
料理を粗方食べ終えた辺りで店内の小さなステージにギターや打楽器を
持った人が集まり、歌い手たちが歌を奏で、
そして中央では真っ赤なフラメンコドレスを身に纏った踊り手が
カッカッと爪先や踵で床を踏み鳴らしてリズムを取りながら
迫力のあるダンスを披露していた。
初めて見るフラメンコの迫力に圧倒され、感嘆の声を零した。
音楽はもちろんだが、何より美しい女性のダンスに見入ってしまう。
そんなロヴィーノを横目に見て、アントーニョは面白そうに笑うと席を立った。
「楽しそうやし、俺も混ざってこーかな」
「…は?え、おい!?」
アントーニョは上着を脱ぐと、ロヴィーノが止める前にステージに歩み寄り、
ひょいとステージに登って手拍子をしながら混ざり、
音楽と踊り子に合わせて踊り始めた。
ステージの面々も最初は少し驚いていたが、直ぐにアントーニョを受け入れた。
アントーニョのダンスのキレはよく、踊り慣れているようだった。
他の客たちもわぁ、と歓声を上げてはやし立てた。
そんな様子を見て、ロヴィーノは肩を竦ませた。
(ほんと、アイツなんでも出来んだな…)
闘牛やってみたり、かと思えばこうしてフラメンコなんか踊って見せたり…。
楽しそうに踊るアントーニョに、ふと笑みが零れた。
しかし、穏やかに見ていられたのはそこまでだった。
アントーニョが女性の踊り手の腰を抱いて絡みだすと胸がもやもやとし始めた。
ただのダンス。
そう自分に言い聞かせてみるが、苛立ちが増していく。
(くそっ…楽しそうな顔しやがって…!)
テーブルの上でぎゅっと両手を握り締めた。
わぁっと一際歓声が上がり、拍手をする音にはっとした。
いつの間にか終わったようで、ステージでは女性と一緒に
手を上げて歓声に答えるアントーニョがいた。
女性の踊り手は魅惑的な赤いルージュを塗った唇でアントーニョに何かを囁いた。
アントーニョはそれに笑顔で頷いて握手を交わした。
そして女性はそんなアントーニョの頬に口付けた。
「――――――!」
ガタンと席を立ち、そこから逃げるように店を出た。
背後であの店員の声がしたが振り返らなかった。
(見て、いられなかった)
ダンスも息が合っていたし、とても綺麗で美しかった。
アントーニョの婚約者はもしかしたらあんなふうに魅力的な女性かもしれない。
そう思ったらとても見ていられなかった。
自分じゃない誰かに微笑み、身体を触れ合わせるのかと思ったら…
嫌だ、と思った。
自分だけを見ていて欲しい。
自分にだけ笑いかけて。
自分以外の誰かに触らせないで。
知らなかった。
(いいや、自分はこの感情に覚えがある)
自分はこんなにも嫉妬深いなんて――――――。
『アントーニョだけは俺のことだけ見てくれるなんて、
どうして思えたのか。…ばかだな、俺…――――――』
記憶の海の中で昔の俺が虚ろな瞳から涙を零した。
ずきりと頭の隅が痛み、米神を押さえた。
思い出したくない、と拒絶するかのような痛みに壁に手をついた。
そうして痛みが治まるまでじっと堪える。
アントーニョのことをやきもち妬きだなんて笑えない。
自分の方がずっとずっと、欲深くて嫉妬深い。
ロヴィーノは口の端を上げて無理矢理に笑った。
「ロヴィーノ!!!」
ぐっと手を引かれてゆっくりと顔をそちらに向けると
アントーニョは少し焦ったような怒ったような顔をしていた。
「勝手に消えんとってや…!心臓に悪いやん!…どうしたん?
気分でも悪なった?」
「アントーニョ……」
縋るようにその胸に擦り寄ればアントーニョはしっかりと抱き締めてくれた。
アントーニョの匂いとぬくもりにほっと安堵するとふいに涙が込み上げてきた。
「う…っふ、ぇ」
「どないしたん、ロヴィ?」
泣き出した俺にアントーニョは慌てながら背を撫でてくれた。
言えない感情ばかりが喉の奥に溜まっていて苦しい。
耐え切れなくなったそれが溢れるように涙が溢れて止まらない。
「だれ、かの…ものにならないで」
「――――――え?」
「ずっと…っ、ずっと、おれだけみててくれなきゃ…っいやだ」
アントーニョ、お願い。
欲張りでごめん。
でも、もう我慢なんて出来ない。
「俺だけ、あ…っ愛して、――――――」
ロヴィーノの言葉を飲み込むようにアントーニョはその唇を塞いだ。
ロヴィーノは拒まずそれを受け入れ、自らの口内にアントーニョを誘い込んだ。
「んっぁ…」
水音を立てながら互いを貪るように口付け合うとアントーニョは
欲に濡れた瞳でロヴィーノに囁いた。
「俺はロヴィーノしか愛してへんよ」
これからもずっと。ロヴィーノだけだ。
そのアントーニョの言葉にロヴィーノは涙の浮かんだ瞳を閉じた。
ロヴィーノの頬を一筋の涙が伝い落ちた。
*
「おせぇ!!おめーら夜までに帰るっつたろうが!!!」
ホテルのロビーで待っていたギルベルトは二人の姿を見つけて
直ぐに駆け寄りそう叱り付けた。
「ごめん、ごめん」
「ったく…ほら、ロヴィーノ部屋に戻るぞ」
「あ、部屋の前までついてく」
「…おい、アントーニョ。まさかとは思うけど変なことしてねーだろうな?」
まさか、と笑って誤魔化しながらアントーニョはロヴィーノの手をぎゅっと握った。
二人の様子に訝しく思ったもののギルベルトはアントーニョに
『お前も早く帰れよ』と言って部屋に引き込んでしまった。
ロヴィーノも自分の部屋の鍵を取り出すと、アントーニョを見た。
「…ほなな、ロヴィ」
「……ん」
そういいつつも中々手が離せない。
(あぁ、困ったなぁ…)
可愛い、抱きしめたい、キスしたい。
そんな欲望を疼かせながらアントーニョはロヴィーノを見つめた。
ロヴィーノは握られた手を見つめ、そして計算したかのような上目遣いで
アントーニョを見ると、鍵をアントーニョに渡した。
「鍵、開けろ」
ロヴィーノの少し震えた声にアントーニョは思わず生唾を飲んだ。
言われるままにドアの鍵を開けると、ロヴィーノは言った。
「朝まで、一緒にいて」
その意味を分からないほど、アントーニョは純粋ではなかった。
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