まだ夜が明けきらない時間に目を覚ましたロヴィーノは
隣で寝息を立てて寝ている男を起こさないように
極力音を立てないようにそっとベッドを抜け出した。
昨夜の行為で身体はまだ違和感を残していたが
それでもロヴィーノは床に散らばった昨日着ていた服を集めて
丸めて鞄に乱暴に詰め込むと、新しい服を着込み、
軽く身支度を整えると、手早く帰り支度を済ませると部屋のドアに手をかけた。
…が、一度振り返り、まだ夢の中を彼方う愛しい男の元に戻った。
満足そうな幸せそうな寝顔を見て、込み上げた涙を慌てて飲み込むと
そっと頬に口付けた。
「あり、がとな…」
幸せな時間を過ごせたことに感謝をした。
そうして、さよなら、と。
もう二度と交わらない関係に別れを告げる。
それでも、ずっと愛してる。
男の手にそっと指を絡めて甲に口付け、そっとその手を離して立ち上がった。
貰ったケープを大事に羽織ると男に背を向けた。
出来る事ならずっとこのまま居たい。
そんな後ろ髪を引かれながらも、一歩歩き出し振り切るように鞄を持ち上げて
物音を立てないように静かにその部屋を後にした。
*
ロヴィーノがギルベルトを伴い、自国に辿り着いたのは
その日の夜だった。
抜け出したことがばれないように城の中を歩くときは
ケープのフードで顔を隠し、ギルベルトの影に隠れるようにしながら
城の奥、フェリシアーノの居住区に入るとすぐにフェリシアーノが飛んできた。
「兄ちゃん!良かった、早く戻ってきてくれてっ
実はね、じいちゃんも予定より早く帰ってくるみたいで
どうやって誤魔化そうかと思ってたんだぁ…!…兄ちゃん?」
ロヴィーノにハグをしながらそう言ったフェリシアーノは
いつもなら直ぐに飛んでくる罵詈雑言がないことに気付いてその顔を覗き込んだ。
ロヴィーノはフェリシアーノと目が合うとオリーブ色の瞳が一瞬揺らいだ。
何かを言われる前にその肩に顔を伏せた。
「ちょっと、疲れた。話はまた明日にする」
「ヴェ…うん、…うん。分かったよ。おやすみなさい」
ロヴィーノはそれに返事をすることなく居住区の更に奥
南の塔へと向かって歩いて行った。
その背を黙って見送ったあと、フェリシアーノはギルベルトに向き直った。
「ギルベルトもお疲れ様ー、ありがとね、兄ちゃんのこと」
「ケセセセッフェリシアーノちゃんの頼みだからな!」
「…疲れたでしょ?今日はゆっくり休んでいいよー。報告はまた明日でいいから」
そういうとフェリシアーノは再びロヴィーノの歩いて行った先を見た。
一瞬揺らいだロヴィーノの瞳は泣くのを堪えているかのようだった。
旅先で何かあったのかもしれない。
ギルベルトに変わった様子もないことから、フェリシアーノは少し考える仕草をすると
城に滞在している極東の国からやってきた友人の元へと向かった。
*
ロヴィーノが帰ってきてから少し様子がおかしいことに
フェリシアーノは心配していたが、友人の助言どおり暫く様子を見ていたのだが、
やはり気になって再び友人である本田菊の元を訪ねた。
フェリシアーノは本田を連れて南の塔の一番上の階にあるロヴィーノの部屋のドアを
ほんの少し開けて中を覗くと、部屋の主であるロヴィーノは
やはり窓辺に座ってぼんやりと外を眺めているようだった。
その膝の上には西の国の言葉で書かれた本が載っているようだが
読み進めている様子はない。
その姿に溜息をついてそっとドアを閉めた。
「…前まで西の国の歴史や文化、言葉の勉強なんかしなかったのに
最近積極的にやってるみたいだし、結婚に凄い乗り気になってるのかなって…。
かと思えば、あぁやって憂いを帯びた表情でぼんやり外眺めてみたり…
もしかして、無理、してるのかなぁ…?」
そもそも乗り気じゃない、嫌なら断ってもいいと言っているのに
ロヴィーノは別に嫌じゃない大丈夫と言うから話を進めることになったのだ。
ロヴィーノには好きな人と幸せになって欲しい。
自分も、祖父もそう思っているのに、
ロヴィーノは自分には何も出来ないからせめて国の決め事は守るという
義務感で承諾したのだ。
国のため、なんてそんなものは考えなくてもいいのに。
そもそもそれを思うのならあの国でなくてはならないことはないのだ。
「なんでかなぁ…俺の言葉は上手く兄ちゃんに伝わらないんだ」
「…フェリシアーノ君は本当にロヴィーノ君が好きなんですね」
しょんぼりと項垂れるフェリシアーノに本田は微笑むと
さて、じじいも少し頑張ってみましょうか、と心中でそう思うと
コンコンとその扉をノックし、中から声がかかってからドアを開けた。
背後で心配そうな顔をしていたフェリシアーノを安心させるように笑うと、
部屋に入ってそのドアを閉じた。
*
「お久しぶりです、ロヴィーノ君」
「本田か…何か用か?」
「おはぎを作ってきたんです、良かったら食べませんか?」
持ってきた包みをテーブルに置くと、ロヴィーノはゆっくりとした動作で
窓辺から降り、テーブルに近づいた。
本田が包みを解くと、ロヴィーノはそれを覗き込み頷いた。
「食べる」
「では、どうぞ」
椅子に座ったロヴィーノに好きなだけ食べていいというと
お茶を淹れてから自分もその向かいの席についた。
暫くそうして何気ない話をしながら小さなお茶会を楽しんでいた。
「西の国はどうでした?」
「あぁ…うん」
「……会いたい人には逢えましたか?」
「……あぁ、」
曖昧な返事に気を悪くした様子もなく本田はそうですかと返した。
もうあまり考えないようにしようとアントーニョのことを
忘れようとしているのに、ふとした拍子に思い出してしまう。
いつも見る夢も今までよりはっきりとアントーニョの顔を映し出すし、
あの数日間アントーニョと過ごした記憶も再生させて
起きた時のどうにもならない行き場の無い感情は切なく胸を痛ませた。
「記憶、戻りましたか?」
「いや、それはあんまり…つか、別に無くても今更だしな」
あぁ、でもとロヴィーノは少し考える素振りをしてから口を開いた。
「もしかしたら、自分で、自分の意思で『忘れた』かもしれねぇ」
少し思い出せそうな時に、いつも小さな自分がそれを拒否するのだ。
そういうと本田は興味深そうにその話に耳を傾けた。
しかし、やはり何故『忘れたい』と思うようになったのか、や
そもそもどうやって『忘れた』のかなど経緯や原因すらなんなのか分からない。
俺が記憶を失くす前後…あの時俺とフェリシアーノ、
どちらがじいちゃんの後継者に相応しいかと水面下で周辺がざわついていたらしいが、
それと何か関係があるのかもしれない…とフェリシアーノは言っていた。
記憶を失くしてからは酷く混乱し、自分が何者かすら定かではなく、
情緒不安定から体調も芳しくない俺を一番心配していたのは
じいちゃんとフェリシアーノで、広い部屋は落ち着かず、
クローゼットに隠れ、閉じこもったりしていたので
この塔は見晴らしがよく昔からお気に入りだったらしいということで
ここに部屋を移して、漸く安眠できるようになった。
そしてそれからあの夢を見るようになったのだ。
つまり、一切自分の何もかもを忘れたはずの自分が、
どういうわけか、アントーニョとの記憶の断片と
恋い慕う気持ちだけは残っていたのだ。
それにも何か意味があるのだろうか。
だが…――――――。
(出会わなければ良かった、と思うほどアントーニョとの間に何か…?)
確かにアントーニョは最初どこか怒っているような様子ではあったが、
それはロヴィーノが自分のことを何もかも忘れてしまったことや
面会も断られ続けたからであって、他に何かあったようにも思えない。
ならば、あの後…――――――国に帰ってから何か自分に変化があったのだろう。
(“何か”ってなんだ…?)
自分の中を何度探っても何も出てこない。
分からないものは分からないし、面倒だ。
答えも出ないのなら考えるのはやめよう。
溜息をついてもうひとつおはぎに手を伸ばした。
そんなロヴィーノの様子を窺いながら本田は考える。
今回の旅で特に何もなかったわけではないのだろう。
“何か”あったからこそ、ロヴィーノは少し辛そうなのだ。
おはぎを食べ終えるとあぁ、そうだと何気なさを装って本田は言った。
「まるで童話のようですね。
白雪姫は毒のりんごを食べて深い眠りに落ちましたし、眠り姫も然り。
もしかしたらロヴィーノ君も悪い呪いに掛かっているのかも…。
そして、その呪いは愛する人と口付けをすることで解ける、とか?」
ふと微笑む本田に、ロヴィーノは相好を崩した。
「なんだそれ。本田は意外とロマンチストだな。
キスで思い出せるならとっくの昔に全部思い出し、て…――――――」
ロヴィーノは慌てて手で口元を押さえるが、本田はしっかりと耳にして、にこりと微笑んだ。
(キスはしたんですね)
顔を真っ赤にしてそっぽを向くロヴィーノの横顔に更に笑みを深くした。
「それでは私はこれで失礼します」
「本田っ!さっきのは馬鹿弟とか、じーちゃんには…っ!」
「はい、誰にも言いませんよ」
そう言って部屋を出ると直ぐ傍でずっと待っていたフェリシアーノは
二人揃って塔の螺旋階段を降りながら本田の横顔をみて言った。
「…ねぇ、菊。もしかして、菊は兄ちゃんが記憶を失くした原因知ってるの?」
「いいえ」
「じゃあ、心当たりでもあるの?」
「さぁ…どうでしょうか」
はぐらかさないで教えてよ、とフェリシアーノは言ったが
本田は曖昧に笑って誤魔化した。
しかし、と心中で本田は思う。
いつも気になっていたのだが、どうもロヴィーノの傍で
自分の知っている魔法使いの魔力の気配を感じるのだ。
気のせいであればいいと本田はそう思った。
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